見出し画像

なつやすみ(8)

「仕事における思いやりのないコミュニケーション」をもう少しわかりやすい日本語にできないものかと悩み続けています。とりあえず書けるところまで書いてみよう。


手段は何であれ、コミュニケーションには情報を伝達する側とされる側が存在します(キャッチボールの例えを使うと、ボールを投げる側と受ける側)。そして、コミュニケーションは必ず、投げる側から開始されるものです。ここで、投げる側があらぬ方向にボールを投げたり、投げるふりをしたり、大量に投げ続けたりすれば、受ける側がどんなに準備していようが、意思の疎通は無理だと思います。

なので私は、投げる側がちゃんと受け取れるボールを投げることが大事だと思っています。「ボールがちゃんと相手に向かって飛んでいる」という前提がなければ、その後の全てが成り立たないことになるからです。そして、受ける側がちゃんとボールを受ける体勢をとっているかを確認してからボールを投げることが何よりも大事だと思っています。

どんなに丁寧にボールを投げても受ける側が受け損じることはあると思いますが、少なくとも「受け損じた」感覚は共有できるのでリカバリ可能です。リカバリできれば問題ないと思います。

「仕事における思いやりのないコミュニケーション」は、まず1つ目の意味として「ボールを投げる側が雑」と言い換えられる気がします。別の意味として、受ける側の問題が考えられそうなのですが、いったん置いておきます(ボールの例えでまとめられなかった)。


自分が言ったことが相手に伝わらないのは、相手の理解力が無いからだ。
相手が言ったことを自分が理解できないのは、相手の伝え方が悪いからだ。


極論を言うと、こういうコミュニケーションのスタイルになるのかな。
相手に伝わるように情報を整理したり文章を推敲したりするのは確かに少し時間がかかるかもしれないけれど、後々のことを考えたら最初にそれをちゃんとやっておくのが一番楽だろうと思うのだけどなあ。ある程度雑なボールでも受け取ることはできると思うけど、それを受ける労力に比べたら投げる側が丁寧にボールを投げる労力の方がはるかに少ないと思う。


かなり雑にボールを投げる人がいたので疲れたな〜という話です。自分がそうならないように自戒も込めて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?