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ナイトバードに連理を Day 8 - A - 2

【前 Day 8 - A - 1】

(1975字)

 茶賣は首を傾げて早矢と陶器の小瓶を見比べた。

「これはなんだと聞くべきか?」
「聞かなくても言う。アマフリから渡された水門石だ」
「ほう。つまり……この量で見逃せと? ケチ臭いやつに気に入られたもんだな」

 茶賣は微動だにしないアマフリを一瞥してから小瓶に手を伸ばした。早矢は止めなかった。茶賣は小瓶を持ち上げ、そして顔の前で振った。

「……空だ。馬鹿にされているのはお前か?」

 小瓶越しに茶賣の顔を眺め、早矢は強引に笑顔を作った。

「いいや、お前だ茶賣。中身は昨日、俺が飲んだ」

 茶賣が小瓶を手放した瞬間、全く同時に二つの石術が起動した。

 一つ、近衛と冶具を乗せたコーデックボートが突然走り出し、進路を変えることもなく走り去った。

 一つ、突如跳躍したアマフリが残されたコーデックボートを前後真っ二つに切断しながら着地し、そしてまた振り返ることもなく何処かへと走りさった。

 一瞬の遅れの後、さらに二つの石術が起動した。

 茶賣は両手を輝かせ音を立て水門石を行使し、そして同じく両腕を輝かせた早矢に突き飛ばされた。茶賣の身体は天幕を支えていた柱に直撃し、崩れ落ちた大布に埋もれた。早矢がその下から這い出すと同時に天幕は燃え上がり、一瞬で燃え尽きた。

 早矢はむせながら立ち上がろうとし、四肢を着いた姿勢で一度挫折した。暑い熱い寒い冷たい。高熱で浮かされ悪夢と覚醒を瞬時に繰り返すような混乱と苦痛が、早矢の意識を埋め尽くそうとしていた。門石のときよりはるかに強い、内臓を抉り取られたような虚無感。今までに感じたことのない速さの鼓動。早矢は力の入らない体でそれでも深く呼吸し、地面を殴りつけて立ち上がった。

 コーデックボートとアマフリはすでに遠く走り去っていた。ひっくり返した茶にまみれた傭兵たちが早矢を半ば取り囲み、銃口を向けていた。

「見事だ夜目殿。初めてでこうもうまく水門石を行使するとは」

 燃え尽きた天幕の中心から、茶賣は煤を払いながら立ち上がった。早矢は傭兵たちを無視して茶賣に向き直った。

「あんたが使うところを何度も、目の前で見た。あとは勘だ」

 舞い上がる砂塵の中で、早矢の金色の瞳に赤い光が瞬いた。

「水門石は血液を消費する。だから使わせ続けて、あんたを磨り潰す」
「発想は良いが、潰し合いとなればお前も同じ条件だ。勝機と呼ぶには弱い。手打ちにするのが妥当だろう。お前らは逃げる、俺はお前らを追わない。どうだ?」
「駄目だ。あんたは人を不幸にしすぎる。その力を野放しにはできない」
「鵺の代弁者が正義に目覚めたとでも言うのか? さぞ痛快だろうな」
「違う。だが説明してやる気はない」
「それは残念だ」

 茶賣がひらりと手を振った。傭兵たちは躊躇なく引き金を引いた。乾いた銃声。八発の銃弾は半円状に収束しながら進み、そして空中に静止し、落下した。その中央に立つ早矢が左右に広げた輝く両手をゆっくりと握ると、傭兵たちの持つ小銃は飴細工のように歪んだ。

「……本当に見事だ。お前らは下がれ」

 茶賣はそう言って右手を早矢に向けた。早矢は両手を前に突き出した。

 二人それぞれを起点に砂塵が舞い上がり、二人を隔てる空間の中央で互いを磨り潰すように衝突した。砂の壁が空中に立ち上がり、振動し、金属が歪むような不快な音が早矢の鼓膜を揺らした。それは砂と砂が擦れる音ではなく、石術による不可視の力が相殺し合う音だった。

 吹きつける風に砂が集められ落下し積もり、二人の間に一筋の線を形成していく。巨大な半透明の箱があるように空気が歪曲する。早矢はそこに存在する見えない壁を前のめりになって押した。歯を食いしばり体重を掛けることに意味があるのかは分からなかったが、早矢にはそうするほかに石術を行使しながら立ち続ける方法が考え付かなかった。

 茶賣は違った。最初の数秒、早矢と同じく見えざる壁を押すように右手を突き出していた茶賣は、不意に腕を下ろした。瞬間、砂塵の列が崩れ、茶賣に向かって再び飛び、そしてその1メートル手前で半円を描いて止まった。

 早矢は状況の変化を見て取り、理解した。茶賣は石術の展開範囲を自身の周りに限定することで水門石の出力を落とした。早矢は一歩前に踏み出し、見えない力の動きを変えた。正面から押すのではなく、茶賣を左右から挟み込むように――その試み自体は成功した感触があったが、それでも茶賣は苦労する風もなく砂塵の中央に立ち続けていた。

 茶賣はおもむろに左腕を上げ、前に振った。早矢はその意味を考えるより早く背後に振り向き、そして砕けながら飛び掛かってくるコーデックボートの残骸を見た。

 咄嗟に右手を向けて力を込める。残骸は空中で静止した。息を吐く間もなく振り返ると、茶賣がすぐ目の前まで駆け寄っていた。

「勝機だ、早矢。勝機がなくてはダメだ」

 茶賣はそう言って腕を前に突き出した。その手に握られた黝いナイフが陽光に閃き、そして早矢の視界から消えた。 【Day 8 - A - 3に続く】

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