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ナイトバードに連理を Day 8 - A - 3

【前 Day 8 - A - 2】

(1216字)

 早矢は茶賣の土気色の顔を見、肩から腕を辿り、自分の左うなじに乗るその拳を見た。冗談のような眺めだった。刺された痛みも、茶賣が触れているという感触もない。血も流れない。ただ左肩から指先までが突然造り物になったような、空虚な違和感だけがあった。まるで、そこに刺さるナイフが血の流れをせき止めたかのように。

 早矢がその意味を理解するまでに要した時間は約一秒。その間にどれほどの血と体液をコーデックであるナイフに奪われたのか。早矢は昨日握りしめた門石を思い出し、恐怖した。

「アアアアア!」 

 早矢は叫びながら腕を突き出し、石術を込めた。茶賣は吹き飛んで後ずさった。その着地を見る余裕もなく早矢はナイフを引き抜き投げ捨てた。要求を失ったコーデック・ナイフは地面に衝突した瞬間に爆発し、大量の砂塵を舞い上がらせた。

 途端に走った激痛に早矢は顔をしかめ、うなじに手を宛がったが、一滴の血も流れないまま傷口は塞がり始めていた。茶賣が銃弾を受けたときと同じように。それは肉体の回復のために無意識に行使された石術が、さらなる血液を早矢から奪った結果に他ならなかった。

 早矢は浅くなる呼吸をどうにか引き伸ばしつつ、砂塵の流れる正面を睨んだ。再び距離の離れた茶賣は、その視線に答えて真顔で顎をしゃくった。早矢は両手を突き出し、再び石術を行使した。一つの目標に集中し、空間そのものを押す。早矢にはそれ以外の工夫はイメージもできなかった。茶賣もまた腕を輝かせ、その周囲に再び砂の筋が形成された。

 押し合いはさらに数分間続いた。先に膝をついたのは、茶賣だった。

 早矢は石術を弱め、方向を変え、茶賣を地面に這いつくばらせてからそのそばに歩み寄った。ちらりと視線をふった先で、離れて立つ傭兵たちが両手を上げて見せた。

「……つまりなんだ、勝機はあったわけか、早矢」

 うつ伏せで顔だけを横に向けた茶賣の声は、今際に立つ老人のようにしわがれ酷く聞き取りづらかった。早矢もまた答えようとして咳き込んだ。

「……貉の血は、猩々より多い。もう一人の夜目が昨日散々確かめた。あんたが負けた理由はそれだけだ」
「……は、は、は。それだけか。参るな、おい」

 茶賣はそう言って笑い、右手を輝かせた。その掌の向けられた先で傭兵の一人が膝をつき、がくがくと痙攣しだした。

「なら、もっと血があればいい」

 早矢は茶賣の腕を踏みつけた。それでも茶賣は笑い続け、その手を輝かせ続けた――突然、その手首から先が弾け飛び、どす黒い跡を地面に残して消滅する寸前まで。茶賣は声もあげずに動かなくなり、その手は再生しなかった。

 早矢の耳に乾いた発砲音が遅れて届いた。首を回した早矢は、はるか遠くから徐々に大きくなる二隻のコーデックボートを見た。一隻は近衛と冶具が乗り込み逃げ出したもの、もう一隻は一昨日、サリルタ鉱山町で茶賣が見逃したものだった。早矢はどうにか腕を振って見せ、すぐに座り込んだ。そして大きく息を吐き、雲一つない青空を見上げた。

「鵺……空鳥、終わったぞ」 【Day 8 - A - 4に続く】

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