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掛川でどうする?

先日、浜松に行った帰りに、掛川城に行きました。

掛川城は、室町時代、駿河の今川氏が遠江進出を狙い、家臣の朝比奈氏に築城させたお城です。

桶狭間で今川義元が打たれた後、力を弱めた今川を、ついに武田軍が攻撃します。
駿府館を追われた今川氏真は、朝比奈氏が守る掛川城に逃げ込みました。
しかしそこに、家康が7,000余の兵をもって攻め込んだのです。

ところが掛川城はことのほか堅固で、なかなか落とせません。
長期戦になることを避けるため、和睦による開城となりました。

ここで思い出す、「どうする家康」の掛川城の戦いの時の今川氏真の言葉
「そなたはまだ降りるな、そこでまだまだ苦しめ」
これも又涙のシーンでした。

今川屋敷で兄弟同然に育った二人の運命の分かれ道。
実の親子や兄弟でと、敵味方となって戦うこともあった戦国時代。
いつの時代も、戦いとは残酷なものです。

説明ばかりになってしまったので、ここでひとまず掛川城に行ってみましょう。

掛川市内に入ると、結構遠くから掛川城が見えます。

この掛川城は、平成6年(1994年)4月に復元されたものです。
その昔「東海の名城」と呼ばれた美しい城だったそうで、それをそのままに、日本初の「本格木造天守閣」として復元されたものだそうです。

浜松城の黒壁のかっこよさと比べると、こちらは白壁の美しさですね。

何と桜らしきものが咲いていました。

狂い咲きかと思ったら、四季桜という桜で、秋から冬と春の2回咲く桜だそうです。

では、天守閣に登ってみます。

天守閣の前には井戸があり、今も水がありました。

実はこの井戸、霧噴きりふきの井戸も言われ、掛川城に立て籠もった今川氏真を家康が攻めた時、井戸から立ち込めた霧が城を包み、家康軍の攻撃から城を守った、という伝説があるそうです。

天守閣の内部は、かなり段差が高く急な階段

ここなどはまだいい方。
その先は、降りる時怖くて座って降りる人がいるくらいでした。

しかし天守からは、掛川市内が一望できます。

南側?

左下が入り口の門
その右側に見えるのが太鼓櫓。
時刻を知らせる太鼓を置いていた櫓だそうです。
左上、立体駐車場の手前が大手門です。

大手門との間には川が流れており、天然の堀になっているようでした。

東側

こちらには、現存している二の丸御殿があります。
江戸時代後期の建物ですが、現存する城郭御殿としては、京都二条城など全国で4ヶ所しかない貴重な建築物だそうです。

二の丸御殿 

天守閣を出てから、この御殿を見学することにしました。

その前に、先ほどの南側の写真の中央のくの字の建物。
こちらお土産屋さんになっているようでしたので、寄ってみました。

ここで書いたかったものがあるのです。
それは

横から見ると

なんかワクワクします♪

それから、掛川茶のソフトクリーム

ソフトクリームにピント合わせるとお城がボケ
お城にピントを合わせるとソフトクリームがボケ…

こちらから見ると、手前に大きく見えるのが太鼓櫓。背後が天守閣です。

私は抹茶とほうじ茶のソフトクリームを食べましたが、とにかくお茶が濃くて美味しい。
そして、すごく溶けやすくて、慌てて食べました。

それから御殿に向かいます。

右側の家紋は、言わずと知れた徳川の家紋。
左側の丸に桔梗(太田桔梗と言われる)は、江戸時代中期から幕末まで掛川城の城主を務めた太田氏の家紋です。

御殿内は、廊下に沿って細かく分かれた畳の部屋がたくさんありました。
位によって、部屋がグレードアップしていくのがよくわかりました。

お部屋の中から眺める天守閣もまた、素敵でした。

掛川城は、東海道沿いにあり、将軍上洛などの時の宿泊所としての役割もありました。

家康が大坂冬の陣に向かう時、徳川秀忠や家光もまた、上洛の際掛川城に宿泊しています。

ところで、掛川城は家康によって落とされましたが、その後豊臣秀吉により天下が統一されると、家康は関東に移封されてしまいます。

そして掛川城に入ってきたのが、豊臣配下の山内一豊です。

山内一豊といえば、これ又大河ドラマ「功名が辻」で、上川隆也さんが演じました。
朝の連ドラ「ひまわり」や、映画「大地の子」以来、上川さん結構好きだな、と思っていたので、楽しんで見ていました。

しかし、それまで山内一豊を知らなかったからか、
ドラマ放送当時静岡にいなかったからか、
見ていたはずだけど…
掛川城とのつながりは、覚えていませんでした。

一豊が掛川城に入った時は、まだ天守はありませんでした。
山内一豊は、城主として10年間掛川で過ごし、当時の最新技術を導入し、美しい天守閣を作り上げました。
現在、復元されている掛川城は、山内一豊によって築かれた、整備されていった十七世紀中頃の様子がイメージされているそうです。

関ヶ原ののち一豊は、土佐(高知)24万石の初代藩主になりました。
掛川は6万石だから、すごい出世ですね。


高知城は掛川城を模して作られたとも伝えられています。
高知に行ったことはありませんが、写真を見ると、掛川城に似ているかもしれないって思いました。

高知城は、江戸時代に作られて現存している数少ないお城の一つ。
いつか見に行ってみたいです。

さて、掛川城でも、御城印をいただきました。

2枚目の御城印は、掛川城

ちなみに今年令和5年1月には、掛川城二の丸茶室で、第72期ALSOK杯王将戦7番勝負第一局が、行われたそうです。

藤井聡太王将と挑戦者羽生善治九段の勝負でした。
テレビでチラッとみたけど、掛川でやっていたのか…

掛川城の周辺には、他にも復元したものも含めて古い建物が立ち並んでいます。
二の丸茶美術館や大日本報徳社、山内一豊の重臣の邸跡である竹の丸、ステンドグラス美術館をはじめ、見どころがたくさんありそうです。

今回は、掛川城に着いたのがもう夕方近かったので、全てを見て回ることができませんでした。

いつか又ゆっくりいきたいと思いました。

さてお土産の家康さんのたまごボーロ
瓶から出してみると

色々ある❤️
並べてみました。

これを娘と二人、一個一個、言葉やジェスチャーをしながら食べた。

例えば
「天下」だったら、
「とったどー!」と片手を突き上げて食べる

「家康」だったら
「泣かぬなら 泣くまで待とう ホトトギス」と呟いて食べる

「葵の紋」だったら
「この紋所が目に入らぬか!」と突き出す。
もちろん、相手は
「ははーっ」と両手をついて頭を下げます。

兜なら、出陣じゃー‼️
小判なら「大判小判がざーっくざーっくざっくざく〜♪」と歌い、
富士山なら、3776メートル!と叫び…

竹千代だけが、全く思いつかなかった 笑

こんなくだらない遊びを爆笑しながらやる親子。アホだな😅

掛川城、ぜひ出かけてみてください。
そして、家康さんのたまごボーロを買って、ぜひ、ゼスチャーゲームやってみてください。


次の日は静岡市に行きました。
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