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音楽遍歴

こんにちは。一足早く春が来たと思ったら、また雪が積もって調子が狂いっぱなしのM.K.です。
最近よく聴く音楽の話をしたいだけなんです、それだけのために記事を書こうとしています。人の音楽の趣味とかマジでどうでもいいと思うのですが、でも改めて考えてみると、好きな音楽のジャンルがガラッと変わる瞬間、なかったですか?
あの瞬間って、やっぱり不思議だなと思うのです。
それまで好きだった音楽がなんか色あせて聴こえて、新しい音楽がめちゃくちゃクレバーで良く考えられていてオシャレに聴こえる瞬間。
そんな稀有な体験、人生にあと何回あるか分からないし、記録しておこうかなと思ったのです。

今ではシンプルなハウスミュージックをよく聞くようになりましたが、少し前までゴリゴリのEDMばっかり聞いていて、高校時代は邦ロックの虫でした。一応流行に乗っていたような気はしているのですが、それにしても何故こんなヘンテコな音楽遍歴になってしまったのか、振り返ってみたいと思います。


邦ロック狂信時代――これが"バンギャ"ってやつなの?

BUMP OF CHIKENから邦ロックの世界に入ったことは明確に覚えている。
歌詞に感動して、共感して、そんな風に歌詞から曲を好きになるなんて初めての体験だった。
多分、多くの若者がそうだったと思う、めっちゃ流行ってたもん。
BUMP聞いてない中高生なんている?ってくらい流行っていた。
これは時々思うことだけど、中学生になると音楽の時間にビートルズを聞かされて、一定数の学生がそのままビートルズに心酔する。
そこから60~70年代の洋楽の洗礼を受けるのだ。
これがJポップから巣立って本格的なロック音楽の世界に入る準備期間だった気がする。
私の場合、そのままGreen DayやSUM41まで行って、パンクロックも許容範囲内になった。
高校時代は思春期全開で暗くて鬱っぽい曲ばっかり聞いて、趣味が同じ友達とライブハウスに行きまくった。アングラ全盛期。
もう結構忘れてしまったけど、ビッグネームではアジカン、フジファブリック、9mm、凛として時雨、みたいなところを聞いてた気がする。
友達はGRAPE VINE(時代的にはちょっと古いんだけど)やtasicaにはまってて、ちょっと大人に感じた。
私はPolarisに心酔していた。今も好きだ。

そのころの私たちは、バンドといえば3ピース、あるいは4ピースバンドしか受け付けなかった。
ロックには、というか音楽にはギター2本とベース1本、あとドラムがあれば十分で、それ以外は全部蛇足!という狂信者になってしまっていたのだ。
だからキーボードが入って5ピースのフジファブリックとはだんだん疎遠になっていった。
音も、楽器が奏でる生音が至高で、サンプリングやミキシングなんてもっての外。電子音楽アレルギーみたいなものを発症した。
のちのBUMPが、EDMに接近するような楽曲を発表した時、私が高校生だったら絶望して首でも吊っていたかもしれないなと思った。

ちなみに音楽を聴く時、主にどの楽器の音を聴くか?
友達はベースで、私はドラムだった。それは私がドラムを習っていたからというのもあるかもしれない。
友達が和音とコード進行で曲を味わい、私はリズムで味わう。
こんな妙な聴き方をするのも、私たち"自称音楽に繊細な学生"の生態の一つだった。

この系譜とは全く別の文脈で、ほんの一時期ボーカロイドを聞いていた時がある。
ちょうど3.11があったとき、「炉心融解」という楽曲が原発事故をコンテンツ消費していると非難されたことがあって(発表されたのは3.11の前なので全然関係ない)、興味本位で聞いてみたのが最初だったと記憶している。
新しい世界を垣間見る気持ちだった。
この時、「曲をリズムで聞く」癖が身を助けたような気がする。
4ピースバンド至上主義で電子音楽アレルギーだった私でも、リズムが秀逸な楽曲は楽しんで聞けたからだ。


電子音アレルギーからEDM至上主義者へ、急転直下

やがてロックから巣立つ瞬間が来た。
EDMの申し子、Avicii登場である。
Aviciiとの邂逅は(みんなそうだと思うが)、Wake Me Up から始まった。

アコースティックギターから始まる楽曲の前半部分は慣れ親しんだカントリーロック調だった。
そのエモーショナルなコード進行に、まずロックの面から好きになった。
だけどだんだん電子音楽の気配が強まり、曲の盛り上がりがくる。
「サビ」にあたる部分は完全なるエレクトロ・ダンス・ミュージックで、しかもインストゥルメンタル。歌詞がない。サビに歌詞がないのだ!
この衝撃は今でも覚えている。それまで好きだった曲やアーティストのことも忘れて、貪るようにAviciiを聴いた。
ロックからEDMへの橋渡し的存在として、Aviciiは極めて優れていた。

それまで「歌詞」は曲の良し悪しの大きな面を占めていた。
説明的で、物語風で、共感できる歌詞。
曲は平凡でも、歌詞が良ければ聞けた。メロディーよりも歌詞が大事だった。
しかしEDMは聞いてみれば分かるとおり歌詞なんて二の次……というか、そもそも歌声は主役ではなく楽器の一つなのだ。
人の声は楽器。
何ならサンプリングして重ね合わせてピッチを弄り、それでリズムを刻んだりする、そんな世界なのである。
ちなみにAviciiの楽曲には歌詞に重きを置いた秀作もあって、The Nights は何度聞いても情景が浮かんで泣きそうになる。

ただし情報量は少なく、例えばBUMPの「ラフ・メイカー」みたいなしっかりしたストーリー仕立てでもない。
ただ父親から人生の格言を聞かされた「あの夜」を思い出すだけだ。
しかし情報が少ない分、解釈の余地が多くあり、想像力を大いに搔き立てる。自分の人生にピッタリ重ね合わせる事もできる。
映画を見るのと文学を読むのとの違い、とでも言うべきか。
言葉の繰り返しも多い。だから詩的な文学を読んでる気になる。
そして言葉は感傷的な主題(何度も繰り返されるメロディー。モーツァルトのきらきら星変奏曲の最初のメロディーみたいなもの。)の背景からこだましてくる。
主題は何度も形を変えて登場する。繰り返されるたびに高揚感が高まっていく。
何度も反復されるものは、ただ冗長なのではなく、時に交感神経を刺激し本能的な快感をもたらすこともあるのだと、初めて知った瞬間だった。

ここから一気にEDMにドはまりした。時代もEDM全盛期。
ZEDD、Calvin Harris、Hardwell、Nicy Romero、Tiesto、David Guetta などなど、手当たり次第に聴いた。
このころはビッグルーム・サウンズを中心に聞いていたと思う。
Ariana Grande が ZEDD の楽曲を歌う BREAKE FREE はカラオケで死ぬほど歌った。

クラブにも行った。韓国 江南区のoctagonは凄かった。
けどまあ、クラブ文化は私には合わなかった。
そうそう、最初はゴリゴリの電子音楽で、歌詞なんて関係なくノれる曲が好きで(でもSkrillexはやりすぎだった)、例えば David Guetta の Lovers On The Sun みたいなのばっかり聞いていた。

こういう良曲を聴かせる、男女の出会いの場ではない、プラトニックでストイックなクラブは無いものかと、毎日悶々していたのを思い出す。
(英国留学していた友達が、レズビアン用のクラブがそんな感じだったと言っていた。いつか行ってみたい。)


EDMサブ・ジャンルの変遷と、永住の地トロピカル・ハウスへ

やがて転機がくる。EDMプロデューサーの中でも特に好きだったCalvin Harrisが、だんだんファンク寄りになっていったのだ。新しい音楽ジャンルを作ろうとしているらしいことは知っていたけど、なんだかイビザのビーチからカリブ海に移動したような感じになった。
グラサンかけてランボルギーニを乗り回すような男が、急にバックパックでキューバに飛んで、マリファナの葉巻を咥えだした感じ。
つまり曲調がだんだんカームダウンしていったのだ。たとえば Slide とか。

その頃から、いわゆるゴリゴリのビッグルーム・サウンズが若干下火になって、チルアウトが主流になってきた。ZEDDが The Middle を出した頃といえば「ああ」となるかもしれない。音の球数が少なくなっていったのだ。

そしてついに出会ってしまった……KYGOと。
Aviciiとの邂逅に匹敵する衝撃、そして永住の地の発見でもあった。
新しいEDMのサブ・ジャンル、トロピカル・サウンズの第一人者ともいうべき存在との遭遇である。
シャワーを浴びるような、さっぱり気持ちいい音楽との出会い。
未だに初見の驚きが忘れられないのは Happy Birthday という曲だ。

余りにも有名すぎるあの曲、あの誕生日に歌う曲とまったく同じ名前を冠する楽曲って思うと、ものすごく大胆な感じがした。
聞いてみると、思ったのと全然違う。曲は、静かなピアノのアルペジオから始まる。男声のかすれた声が、誰か愛する人(子どもや恋人)への献身的な愛情を率直に歌い上げる。

I'll be there for you when you crawl
Then I'll pick you up when you fall

この部分がすごく好き。泳いでるときは傍にいるし、溺れそうになったら掬いあげるよ、っていう優しい歌詞。
ロック以来、歌詞が再び私の音楽人生に存在感を放ち始めた。
サビはスキップするようなピアノのフレーズに若干のスクラッチング。
もちろんインストゥルメンタル。人工的な電子音などはほとんど感じられない。
まるで浮き輪に寝そべって海に浮いているような感覚になる、この気持ちよさ。
Stargazing はさらに衝撃的で、前半のバラード風の曲調からトロピカル・サウンズにシームレスに移行するのだが、サビでは男声サンプリングをミキシングしてそれを主題化して繰り返し、呼吸するようにスクラッチさせてリズムを刻む。
人間の歌声を主題にするし、打楽器にもするのだ。
それは It Ain't Me でも同様で、それは歌声の究極の物象化であり、また音の数が少なくシンプルになる分、歌詞の存在感が増すのだった。

撥ねるようなピアノのリズムの虜にもなった。
KYGOはピアノで作曲するプロデューサーで、幼少期からピアノを習っていてかなりの腕前なのだが、その使い方はまるで打楽器のようだ。
もともとハウスって、ベースはシンプルな4拍子なので、その上にどんなリズムを刻むのかが曲の良し悪しを分ける重要にな要素になる。
彼はピアノを使って複雑でジャジーなリズムを刻み、楽曲に変化をつけて軽やかにする。これが交感神経を刺激しまくる。
気が付くと、こういう種類の曲ばっかり聴くようになっていた。


ミニマル×ダンスミュージック、ハウスの辺境へ

いつのまにか、もっとシンプルな楽曲を欲していた。
KYGOよりもっと言葉は少なくていい。本当に印象的なワンフレーズだけでいい。
それを主題化して延々と繰り返す。
ベースはダンスミュージックでいいんだけど、音の種類も数も必要最小限でいい。
ハウスにこんなニッチなサブジャンルなんて存在するのか?と思っていたが、どうやらここからはミニマルミュージックの領域のようだ。
私は行ったことないのだが、久石譲がライブで、同じ主題を何度も繰り返すパフォーマンスをするらしく、彼の音楽をミニマルミュージックに分類する人もいるらしい。
ともかく、こういうのはミニマルミュージックというそうだ。しかもEDMよりずっと古い歴史を持つらしい。楽曲の数も膨大で、もはや追いようがない。
なのでひとまず、焦らずいろんなのを聴いてみて、お気に入りのアーティストをつくるところから始めている。

今聞いているのは Shift K3Y や Weiss といった英国のハウスサウンド。Shift K3Y の I know はカッコいい曲なんだけど、タイトル通り、サビの部分はずっと " I I I I know I I I I know I I I……"とひたすら I know を繰り返す。
歌詞を全部書き出してみても、

I know what you looking for. But I'm not that guy and not that type.
Twilight you haven't seen before. Cause I'll make you up just a little bit more…

たったこれだけである。 シンプル!

Wiess も同じような感じだが、ピアノを多用している。 You’re Sunshine は "Sunshine…You are" をサビで繰り返す。
ピアノのフレーズの方が主題で、コード進行もずっと一緒。
でもこれがまるで山のてっぺんから日の出を拝むみたいに清々しくて気持ち良いのだ。

繰り返しになるが、ハウスは基本4拍子で、バスドラムが背景でドッドッドッドッと刻み続ける。田舎のヤン車から聞こえてくるあのビートである。
どの楽曲も、ハウスならこの条件からは逃れられないし、たとえばジャズと比べたら圧倒的に制約が強い。でも、人は時に、制約があるゆえにとびきりの自由を謳歌できたりする。

この制限された自由の感覚、ひたすら繰り返される主題から微妙な変化を察知して、その最小限界差異を最大限楽しむ、音楽界の最辺境に位置するようなそんなジャンルに足を踏み入れつつある。
流れ流れて無人島に辿り着いたけど、そこはそれなりに居心地が良くて、トロピカルフルーツがたくさんなっていて、やや単調だけど幸せ。今はそんな感じ。



……新しく出会った人の音楽遍歴を聞くのも面白いかもしれませんね。

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