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サブカル大蔵経915五来重『日本人の死生観』(講談社学術文庫)

五来イズム爆発。

「みんな、理論の方だけに目が向いていて、生きた日本人を相手にしていないというか、庶民がまったく視野に入っていない」ことが不満だったのだ(読売新聞1989年7月11日夕刊)。p.276

ルサンチマンの孤独な戦いを思わせる。

各論は検討されそうですが、総論の真っ当さは、解説で岡本先生が述べるよう、これからより一層輝いていくのでは。

これから五来重の時代が来る。というか、五来重が日本の宗教の基本になるような。

特に、宗派や布教を第一義にしない臨床宗教師の活動とリンクしていくような。

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浄土思想というべきものは『阿弥陀経』ができて、中国へ伝わって、曇鸞・道綽・善導を経て、日本へ来たものだけではないので、p.10

 宗派以前の〈浄土〉。浄土宗や浄土真宗の専売特許ではない〈浄土〉の歴史。

 学生時代、中国浄土思想専門の柴田泰先生が授業で、中国のもう一つの浄土の歴史を話されていたなと思い出しました。自分の宗派の歴史だけではない道があるんだなと思ったことは覚えています。

死者を媒介項として神も仏もみな1つのものとして受け取っている日本人の死後観、霊魂観、死生観をみておかないと、日本人の精神構造はほんとうに把握できない。p.20

 神や仏以前の、霊という概念の存在。良い悪いではなく、その歴史から始めたい。頭でっかちの僧侶が説く〈宗派〉の教えではなく、民衆の中に伝わり漂う宗教観に、僧侶側が学ぶべきではないでしょうか。

こういうものの特色は、密室を使うということです。浄土真宗は、そういう民俗的な儀礼はぜんぜんしないようにいっているのですが、「おかみそり」のときには、p.41

 浄土真宗の暗闇儀式。

どうも、浄土宗、浄土真宗から学者がたくさん出たために、浄土宗、浄土真宗的な念仏、あるいはその往生思想だけがあまりにも強調されすぎた観があるので、p.47

 宗門系大学、宗派学者の学問的閉鎖性。しかし現在は、国の方を見る独立行政法人組織の国立大学よりも、宗門系大学の方が伸びやかな研究をされているような。

高野山や善光寺もその周辺の信仰から発展して、日本総菩提所となったのは、他界信仰を浄土信仰にすりかえて納骨と供養をすすめてあるいた、高野聖と善光寺聖の宣伝の結果であった。p.71

 聖という交通と情報の鬼。宗教代理店。僧侶ではなく、聖の時代。親鸞「聖」人。

教団があって教理があって教祖がある、という三条件をもたないと宗教ではない。これはキリスト教を基準にしている。p.140

 この規定により、修験道や日本の宗教は潰された。

死んだ霊魂というものは、宗教が救うほかにはだれも救ってくれない。生きてる者を救うには社会保障もあるし、あるいは人生観や哲学でもなぐさめられるが、霊魂は宗教によってしかなぐさめられない、救われないのです。p.165

 葬儀の意味、僧侶の意義。

志阿弥というのは実は半僧半俗の沙弥です。普通、僧になる前は沙弥である。沙弥から僧になるが、昔はいつまでたっても沙弥のままでいた者がいる。僧にならないで沙弥のままで庶民のための宗教的働きをする。半僧半俗のままで、しかも下級の仏教的働きをする。このような沙弥(志阿弥)で葬送に関係する人が三昧聖です。p.184

 葬儀に関わる人は僧ではなくて沙弥だった。看護師と看護助手の関係のようかな?看護助手さんの方がもともとの看護師さんらしいお仕事をされているというか。

ところが、法然上人や親鸞聖人が念仏に新しい宗教的意味を見出し、念仏三昧を専門とする聖や道心を中心とする教団をつくりはじめるとともに三昧堂もしだいに寺院の形態をととのえた。p.246

 サブの念仏がスピンオフされてメインになった。という風に例えたいです。

宗祖たちも、庶民の宗教的欲求を掬い取ることで各自の主張と組織を生み出した。p.280

 解説の岡本亮輔氏は北大の先生でした。鎌倉仏教各宗派は宗祖の後、どう教団を維持したか。宗祖の独自の思想を一般に伝えたか。それは、インド仏教が中国に移植された時、中国にもともとある概念や言葉と結びつけて翻訳解釈したことと通ずるか。

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