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サブカル大蔵経858鵜飼秀徳『ペットと葬式』(朝日新書)

古典になってもいい程の鵜飼さんのルポ。

殺生と供養の現場における想像力の極北。

人間の葬式はどんどん簡略化される傾向にありますが、ペットはより手厚く見送る傾向が見られます。p.58

迷走の多い人間の葬送よりも、ペット供養こそが弔いの本質が浮かび上がるような。

現代の草木浄土というべき、生物の魂の周りを蠢く人間たちの活動を活写。

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行ってみたくなる興味深い所が、日本中にこれだけあります。身近はバッタ塚です。

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ペットや念仏を称えられないような人や動物でも阿弥陀仏がすくいとってくださると、説くのが僧侶の役目。p.38

 浄土宗の方のペット供養に関する見解。念仏を称えられないのは人間も動物も一緒。

不況で売れなくなった石焼き芋業者から車を買取り、移動火葬車として使うケースもある。火葬中に追加料金を要求され拒むと、生焼けのまま戻すぞとすごまれた。小型犬なのに骨壷を開けると、とても大きな別の動物の骨が入っていた。p.68

 ペットのゆりかごから墓場まで。

アメリカの大学院に行っていた時、ルームメイトのアメリカ人と金魚を一緒に飼っていた。その金魚が死んだ時、彼はその死体をトイレに流してしまいました。彼は、結局は水に戻してあげるのだから、別にトイレに流してもいいんじゃないと。p.81

 この文書が鮮烈的で、たまに法話で引用しました。一般化すると危険かも。

回向院ペット用納骨堂が非課税とされた逆転勝訴理由。有縁・無縁にかかわらず、人・動物にかかわらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くp.85

 以前北千住の回向院を訪れた時、あの大きな地蔵の近くにペットの名前が刻まれた卒塔婆がたくさんありました。

食卓や寿司店に上ることのなかった被曝マグロ、第五福竜丸乗り組員の魂が、このマグロ塚にはこめられている。p.130

 食べられなかったマグロを鎮魂するという発想は、金子みすゞよりも鮮烈。

1879(明治12)年、十勝地方でトノサマバッタ大発生。蝗害。成虫になる前に屯田兵が地を掘り起こし束にして蝗塚。1980年6月にも鹿追町ではハネナガフキバッタが大発生。自衛隊出動。7億匹。60万かけて下鹿追神社境内にバッタ塚建立。p.143

 屯田兵と自衛隊と北海道とバッタ。

鎌田は、決して無用の駆除はしない。申し訳ない。ごめんなさい。あなたたちのおかげで私たちは生かされています。害虫にも魂は存在していると信じています。高野山のしろあり供養塔。〈しろあり やすらかにねむれ〉p.164

 殺生と供養。私たちよりも手をかけた人たちの方がとむらう。

「ゴキブリは地球上に現れて3億年たつが、新参者の人類が作り出した都市を舞台に共に繁栄し、愛憎劇を繰り広げてきた。ゴキブリの側の片思いの感は否めない。ここにゴキブリの腹上に寄生する都市という逆転の構図を彫刻することで、我々の薄情さを埋め合わせたいと思う。2000.11.20 天野裕夫」p.169

 大阪のゴキブリ駆除会社が建てた護鬼佛理天像という供養塔。

善光寺本堂の裏側、迷子郵便供養塔。内部にはカロードがあり焼却処分されてしまった迷子郵便の遺灰が収められている。郵便物の魂が宿る供養塔p.199

 郵便物の魂!!付喪神、九十九神。

検体と臓器移植。ドナーとなるAIBOを寄贈などで手に入れ必要な部分を取り出し依頼者のAIBOに移し替える。AIBOに宿る魂とは、メカの霊魂ではなく、飼い主の気持ちや念だという。p.260

 アイボ臓器移植。チャペックを超えた。


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