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サブカル大蔵経585清水義範『日本の異界 名古屋』(ベスト新書)

学生時代ほとんど読書していなかった頃、書店に入ると、清水義範・パスティーシュのPOPが並び、清水義範という名前は印象に残りました。

それから幾歳月、久々に読んだ清水節。ユーモアに包みながら、その毒は油断できない。あっという間にまわる。それはどこに向けて放たれた毒なのか。

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訪問したい街、京都37.6ポイント。名古屋1.4ポイント。ぶっちぎりの最下位。p.4

名古屋を自虐的に語り出しながら、日本の他の都市を、日本そのものを撃ち、結果的に、計り知れない名古屋の良さを伝える。

観光に頼りすぎる日本を撃つ名古屋。

名古屋を見て欲しくない、来て欲しくない。閉ざされた都市、名古屋。p.34

ここ数年思ってました。爆買い。インバウンド。観光客。訪日客向けの表示や案内。

そこに頼る経済は、何かいびつなのではないだろうか。観光って、そんなにあてにしていいものなのか?と。そしてそこまであからさまな〈観光〉は、観光客にとっても魅力的なものでなくなるのでは?と。

他の都市の方が無理があって、どこかいびつである。京都はどこか不自然である。都どすえといっても観光客で賑わっているだけの街ではないか。札幌は北すぎて伝わってくるものがない。東京23区は全国から田舎者が集まってとち狂っている。神戸は気取りに無理がある。福岡は少しつんのめっている。大阪はなれあいすぎている。そうすると名古屋が住みやすい街だと気づくのである。p.241

コロナ禍の今、名古屋こそ、日本の目指すところかもしれません。

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東海道は名古屋を通っていない。p.22

 唯一この地域だけ、街を通らず、川を渡る。名古屋は東海道からも外れていた。

名古屋人は大阪をちゃんと見ようとはしない。ちゃんと見ると騒がしさが映るような気がするからだ。と言うわけで、名古屋人にとって大阪はどうでもいいのである。p.29

 ゴゴスマがミヤネ屋に勝った超然さ。

名古屋人はお値打ちなことが大好きなのである。ケチではないので大阪人のようにデパートで値切ることはできない。思いがけずちょっと得をすると言う感覚が大好きなのである。事情があって今日だけは安くするなんて買い物できると無常の幸せを感じる。p.58

 〈お値打ち〉の思想。最初の頃の百均は、900円くらいの品物がディスカウントされて100円で陳列されていました。お値打ち感のある狩りでした。

全てにおいて、これは得だわ、これは損だわで考える。クーポン、おかき。p.60

 デジタルの先端であるスマホでさえ、結局人が見るのは、クーポンだったりする。

学歴よりも、間に合うかどうか。理屈よりも、間に合うかどうかを評価する。p.71

〈間に合う〉という指標。秀吉は間に合う人だった。

行きつけの喫茶店へ行こまいと言うのだ。50メートルでも車に乗せて連れて行ってくれる。p.131

 昔、名古屋に住む友人に朝喫茶に連れてってもらった時、そこに流れる優雅さに、驚きました。今やコメダが日本制覇近いのも、さもありなんという感じです。

名古屋人は天下を取った人物でさえ、昔のことを知っとる連れだがや、と言う地点に引きずり下ろす。信長だって名古屋人にはすれば馬鹿な格好でうろついとったらうつけと言うことになる。秀吉などは中村のサルだがやと言われてしまう。家康ならば名古屋城の人質だがやと言われてしまう。だから皆天下を取った後帰りたいところではないのだ。戻ったらコネクションの中に引きずり落とされるから。天下人は出すが都にはならない。p.230

 この引きずり下ろし感が、実はザ・日本という感じもします。

洗練はされていないが生きやすさがある。やせ我慢もしなくていいし、本音を平気で口に出せる。p.234

 生きやすいのが一番だが、名古屋なりの苦労もあると思いますが…。

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