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18歳の母

両親どちらの親戚の中でも一番下だった私は、
歳の離れた従兄の子を面倒見るのが大好きで
子供という存在が大好きだった。

だから育児もできると思っていた。
他の子ですら可愛いと心底思う私が、
自分の子を可愛がれない訳が無い。


でも現実は違った。  もう必死だった。
いつもコンプレックスがあった。
自然分娩ではなく、母乳でもなく、
体調が思わしくなく(重症妊娠中毒症で蛋白尿の治療をしていた)

それもこれも理想とは程遠かった。

極め付けの言葉
この言葉が私を奮い立たせた。

今となっては感謝してる言葉。

実は私は出産後に短大に通わせてもらった。
その時に長男を保育園に預けようとして面接を受けた。

面接とは名ばかり。

園長先生や他の先生はみんな座ったまま
私と母は立ったままこう言われた。

「ここはね、先生や看護師さんが子供を預けるところなの。
あなたみたいな子が預けることは出来ないの。

あなたその歳でその子を産んだのだから
その子を立派な子に育てて下さいね」

その時に思い知らされた。

あぁ、親の歳で子供が見られるんだ。
私がこの歳で産んだせいでこの子は一生その事で人として判断されるんだ、と

この言葉がこの先も私を間違った価値観に走らせ
長男を締め付けてしまった。

ただ、そのおかげでそう言われないようにしようと
意識したことは間違いない。

私だって18で産んでいても
年齢で判断してしまうことは多々ある。

この事で一番長男に迷惑をかけてはいけないと
私の育児は「厳しく・厳しく・厳しく」になった。

自信なんてない育児の始まりの中で、何度泣きわめいて
何度苦しいと思っただろうか。

その度に小さな手で私の指を握り、
目でいつも私を追う息子。

助けてくれていた母に当たり、どれほど喧嘩したかわからない。

手探りで育児をする中で、
自分が母にされたように絵本を読んでみたり
一緒に遊んだり。

甘えん坊でいつも私を呼ぶ息子に癒されて
「この小さな命を守る。何があってもこの子を立派に育てる」

と、18の私は誓ったのでした。


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