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八月、テラス席にて





休日の午前も九時になってから父が「青山に朝飯を食いに来ないか」とメッセージをよこしたので、私は着替えて身支度をする羽目になった。
「もう朝ご飯の時間じゃなくなってしまうけど行きます」と返信をして、私は穴の空いたジーンズと褪せたTシャツを脱ぎ、仕立ての良い麻のワンピースに着替えた。

ゆるくまとめただけの寝呆け髪をほどいて丁寧に櫛で梳かし、軽くお化粧をする。ラフィアの帽子を被り、母の形見の真珠のイヤリングをする。
表に出るともうアスファルトからは八月の熱気がのぼりはじめていた。
手近なタクシーに乗り込み、お店の場所を告げる。メーターが二つ上がる程度の距離。
「日曜の朝なので早く着きますよ。」
と、運転手は言った。

青山のそのレストランは屋上いっぱいの広々としたテラス席からビル街と空が見える。東京を見渡せる、というほどではないけれど、夜はちょっとした夜景が楽しめる。
朝食も昔から評判で、そういえばエッグズ・ベネディクトだなんて出し始めたのもこの店は早かった。
私はだいぶ昔から父とともに此処を繰り返し訪れていた。
どうしてかこの店ではいつも、父と私だけで食事をした。
思えば母を連れてくる機会は無かった。
私も友人と訪れることはなかったし、父も部下や女性を連れてくることは無いようで、暗黙のうちに父娘二人の会食の場となっている店だった。

レストランのフロントで名前を告げると、レセプション係は「あちらのお席にいらっしゃいます」とテラス席へと続く通路を指した。
父さんたら、都心の朝のこの暑いのに外の席を選ぶなんてどうかしているわ。
ウェイターが重たいガラスのドアを押し開ける。すでに強くなりつつある陽の降り注ぐテラスへと案内される。
コンクリートが徐々に熱を帯びる気配がする。
過ごしやすい季節は賑やかなこのテラスも、真夏の今は席がまばらに埋まる程度だ。

緑の茂る大きな鉢と小さな噴水。
四人分の椅子の並んだ丸いガーデンテーブルに大きなパラソルが影を落とす。
そのテーブルにだけ朝からもう空のグラスが幾つも並んでいる。
私は大きく新聞を広げる父の横の席に腰をおろした。

「いくらなんでも、今日は中の席にしたらよかったのに。すぐに暑くなるでしょう。」

「シャンパンブランチにした。俺はもう飲んだぞ。」

「私はお酒はよすわ。」

注文を取りにきたウェイターにペリエとグレープフルーツのジュース、それから父と同じものをと頼んだ。

陽が明るい。
噴水とパラソルの席はまだかろうじて涼しかった。
私は帽子を脱いで隣の椅子に置いた。
すでに食べ終えた父はシャンパンから珈琲に切り変えて、黙って経済面を読んでいる。
ビルの峰を眺めているうちに食事が運ばれてきたので、私はそれを黙々と口に運んだ。
新聞を読む父の邪魔をしないように、と、私は目の前の食物に集中する。
父が何かを読んでいるときには私はいつもそうするのだ。

サラダの青々とした野菜たち。新鮮な果物。
クロワッサン、バゲット、ショコラのパン、りんごのパン。
かりかりのベーコンとポテトのグリル。
オムレツにはオニオンとチーズ。こんなふうにふんわりと焼くには、どうすればいいのだろう。私はいつも当てずっぽうにやって失敗する。たしか、バターを...

不意にすぐ側の樹でセミが鳴き始めた。
新聞からしかめっ面を上げて、父は「うるさいねえ」と低い声で唸った。
うるさい、煩い、というのはたしか「五月蝿い」と書く。

「セミでもなんでも、うるさく鳴けば五月の蝿なのね。」

私が独り言を口にすると、父は「なんだって?」と聞き返した。

「ううん。なんでもないの。」

「そうか。もっと食え。」

「そんなに食べたら太るのよ。」

「食って動けばいいんだ。」

この人らしいアドバイス、と思いながら私はフォークを置いて、珈琲に牛乳をたっぷりと注いだ。
父は新聞をめくって続きを読もうとしたが、食事を済ませた私は喋りたい気分になっていた。

「そういえば車を買い替える話はどうなったの。」

「あれは、めんどうくさくなった。」

「今の車が好きなんでしょう。新しいのを買っても、結局あの古いのにばかり乗っているんだもの。」

肯定とも否定ともつかない喉声で返事をすると、父はまた新聞に目を落とした。
人を呼びつけて隣に座らせておいて、会話をしようともしないのだから。
そうして私はおそらく、父にかまってほしくて母の話を持ち出した。

「ねえ。お母さんの部屋、どうしようか。」

父の眉がかすかに上がった。

「そのままにしておけ。別に困らないだろう。」

「そうね。」

私はしばらく黙って珈琲を飲んだ。

「私、あのひとのジュエリーを幾つか、私が身につけられるように直しに出そうと思っているの。いい?」

「そうか。それはいいな。そうするといい。」

ウェイターがやってきてポットから私たちのカップに熱い珈琲を継ぎ足した。パンくずは手際よく取り去られ、食べ終えたお皿は素早く片付けられた。
テーブルはコーヒーカップだけになり、そしてまた父と私の二人だけになった。

「母さんの宝石は、伊豆の叔母さんたちが欲しがってなかったか。形見分けになるだろう。たくさんあるなら、幾つかあげたらどうだ。」

「あげなくていいのよ!あんな厚かましい人たち。」

思わず口から出た言葉は少しきつい口調で、私は少し恥ずかしくなりながらも腹立たしさが収まらず、話を続けた。

「母さんが描いた絵や気に入っていたガラスの小物、私、叔母さんたちにあげようかと思ってたのよ。化粧台に飾ってあったやつよ。
そうしたらあの人たち遠回しに遠回しに、もっとあの子が身につけていた指輪やブレスレットだとか、ちゃんとした真珠などあったでしょうって。形見はそういうちゃんとしたものを分けるのよ、って。それが常識みたいに言うのよ。
よく言うわ!母さんが描いた下手な絵なんか要らないって思ってるくせに。
私ほんとに頭にきて引っぱたいてやろうかと思った。もちろん顔には出さなかったけど。
着物は少しあげたのよ。他にも何かあげようかと思っていたけど、あの人たちにはもうあげない。」

「そうか。」

父は新聞で顔を隠すようにして黙ったので、そうはさせまいと、私は話を続けた。

「それに母さんの真珠、この真珠。父さんが一緒に行って買ったものでしょう。母さんの誕生日にって一緒に銀座まで行ったんでしょう。私、聞いたもの。他はまだしも、これだけは人にあげるはずないわ。」

父は、私の耳に飾られたイヤリングを見た。

「それは母さんの真珠か。」

「そうよ。」

「聞いたのか。」

「聞いたわ。母さんが私に自慢したもの。」



その真珠までの年月、父と母の間には山ほどの衝突があった。

どちらが悪かったと私には言えないけれど、どちらもどちらだったと私は思うけれど。少なくとも、父がくだらない女のところへ行ったきり帰らない時期、母は哀れだった。
ある時など感情的になった母は私に対して「あのひととの間にあなたを産んだことすら後悔してるわ。」とさえ言い放った。母はそういうことを、気分にまかせて言い放つような人だった。
この人は娘に対してなんて非道いことを言えるんだろうと私は呆れ憤りながらも、夜中に一人、寝室に篭ってわあわあ声をあげ泣く母を気の毒に思った。
母はまるで恋に破れた十代の少女のように泣いていた。
父をなじり、憎みながらも、恋しがっていたのだ。

父がようやく女と別れ家に帰ってきた頃、嫌気のさした母は、ある男と逢いだしていた。
今度は母が家に帰らない時期があった。
広い家には私と父だけだった。
父は知ってか知らずか、何も言わずに仕事に没頭していた。
母には、父と私を捨ててその男とどこか遠いところへ行く気配もあった。それだけその男に熱をあげていたのだろう。うわべが優しいだけの、父のような生活力も行動力も無い、頼り無い男に。
けれど母は、そのうち戻って来た。

そうして最後の一年。
母が何事も無かったかのようにキッチンに立って作る食事を、何事も無かったかのように父と私は食べ、父は仕事に、私は学校へ通った。
互いに会話は少なくとも、私たち家族三人にとって穏やかな一年だった。

母の病が発覚してからは、何もかもが早かった。
入院が決まってから秋のうちに、誕生日が近いからということで父は母を銀座に連れて行ったらしい。
二人は若い頃のように寄り添いながら散歩をして、あんみつなど食べ、三越や和光を覗いたりして、そうして真珠を買ったらしい。

「父さんが、とびきりいいやつにしろ、いちばんいいやつでもいい!なんて、らんぼうなことを言って。私、そんな大きいのでなくていいって言ったの。それでこれを選んでね、父さんが首にかけてくれたのよ。」

母はそう得意げに自慢話をして、娘の私に揃いの首飾りとイヤリングを見せびらかした。
美しい真円を描く、傷ひとつない真珠。
立派な真珠を買い与える力のある父は王様のようで、母は無邪気なお妃様のようだった。
そして父は持てる力の限りを使い、おそらくはこの国でいちばん良い病院のいちばん良い医者と、いちばん居心地の良い病室を母に用意した。
母は最期の頃、絹の寝間着を着て真珠を身につけ、その病室で過ごした。

私は言った。

「このイヤリングとネックレスは直したりしないつもりなの。
このままにしておいて、今の私にはちょっと粒が大きすぎるけど、これからもっと年をとったらきっと似合うようになるんだもの。」

父はまた、喉の奥で上の空の返事をした。
タブレットで何か仕事のメールを読んでいるようだ。
降り注ぐ陽の光のもとで見ると父の髪にもだいぶ白いものが混じり、肌には幾つかの皺や染みが浮き出ていた。
母だっていつまでも若いような人であったし、父だっていつもそうだった。
美しい仕立ての服を着ても、手間暇をかけ体を手入れし、髪を整え背筋を伸ばしても、人は皆、年をとるのだ。
強いこの人も、これから老いて弱っていく。
いつかは、皆。

不安に駆られると、急に意地悪な気持ちになることがある。

「母さんが私を産んだ時、父さんはもっと母さんに優しくしてあげてたら良かったのよ。そうしたら二人とも無駄な喧嘩をすることもなかったんだわ。」

私は会話の筋道も何も無視して、唐突に父を責めだした。
ひるんだように父は顔を上げた。
返事を待たずに私は続けた。
私自身の意思から離れた衝動に突き動かされて、言葉は喉の奥から行き場を探しこみ上げてくるようだった。

「二人は大事な時間を無駄にしたのよ。
もっと、生きてるうちに、仲良くするべきだったのに。
もっと二人で旅行に行ったり、映画を見たりして、父さんは母さんの作った料理をもっと食べて、もっと母さんのくだらない話を聞いてやるべきだったのに。
母さんが病院に入ってもうすぐ死ぬってわかってから父さんは、病室には毎日顔を出したけど、でもそうしていつも母さんの話に上の空で新聞や本を読んでばっかりだった。
何が書いてあるっていうのよ?
何を読んだってそんな大事なことが書いてあるわけじゃないでしょう?
もっと母さんの、親戚がどうしたとか、近所の人がどうしたとか、今日はテレビでこんなこと言ってたとか、そういう他愛のない話を聞いてやるほうが大事だったのに。
母さんは父さんみたいに頭がいいわけじゃないから、難しい話なんかできない。でも父さんに聞いて欲しかったのよ。
母さんは、父さんのことが好きだったのよ。」

私はあろうことか、そう喋りながらぼろぼろと涙を流し始めた。自分でも止めようが無かった。
ただ、夏の昼前の暑いテラスにこうして、老い始めた父と二人で向き合って座り、若く美しかった母を思い出し、植物が枯れるようにしてあっけなく死んでいった母を思い出し、かつて寝室で泣いていた孤独な母を思い出し、死を前にして銀座で父とあんみつを食べ笑っていただろう母を思い出し、今さらどうしようもない全てのことが悲しくなったのだ。

「父さんは馬鹿だと思う。
ほんとうに馬鹿だと思う。
母さんが生きているうちに、もっと優しくしてやればよかったのに。あんなに泣かさないで、もっと可愛がってやればよかったのに。
死ぬってわかってから側にいたって遅いのよ。
病気で早く死ぬからなんだっていうの?
人はどうせみんな死ぬのよ。
みんな可哀相なのよ。
最後だけ真珠を首にかけてやっても全然足りないの。
意地なんかはらないで、偉そうな態度なんか取らないで、最初から母さんをただ可哀相な女と思って、思い切り可愛がってやればよかったのに。」

私は必死に父を責めながら泣いていた。
幼い子供のように両手で顔を覆って、声をあげ、指の間から涙と鼻水をぼたぼたとこぼし泣きじゃくっていた。

父は椅子を寄せ、私の頭に慎重に手を置いた。
そしてぎこちない掌で、幼い子供にするように私の頭を撫でた。

「お前。泣かなくてもいいんだ。泣いてもいいが、泣かなくてもいいんだ。」

頭の端で「わけのわからない慰め方をしているな」と思うと、ちょっと可笑しかったけれど、そのまま涙は流れて私はしゃくりあげ続けていた。
父が私の頭に触れるのはあまりにも懐かしい感じがして、胸が締め付けられきりきり痛むほどだった。

セミの声はいつの間にか止んでいた。

「もっと優しくしてやればよかったな。」

父は私の頭を撫でながら、やっと聞き取れるほどの声で呟いた。










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