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君は僕の思うがまま




彼女は僕の好きではない音楽を聴くし、僕の趣味ではない服を着ます。
僕の口に合わないものを食べ、僕の興味のない本を読みます。
僕の話を上の空で聞き、挙げ句の果てには僕の嫌いな類の、あのいけ好かない連中と遊んでくると言っては楽しそうに街に繰り出しさえするのです。
あれほどに可愛らしく美しく、手足は天鵞絨のようになだらかで柔らかく、太陽のように笑い小鳥のような声でさえずる、僕の愛しいひとなのに。
嗚呼、彼女ときたら、彼女ときたら!


僕が嘆くのを聞いた気のいい博士は、気の毒なこの若者を救ってやろうと思ったらしいのだ。
花の種よりももっともっと小さく不思議な機械を作って、歌っている彼女の喉にぽいと投げ入れた。
人形のように倒れた彼女に驚き駆け寄りすがりつく僕に、博士は操縦桿を差し出した。

「驚きなさるな。これでもう、この娘さんは君の思うがままだ。
どれ、この操縦桿さえあればもう二度と君の愛しい娘さんは何処にも勝手に出歩くこともなければ君の話を聞かぬことも無いだろう。
末長く二人幸せに暮らしたまえ。」

そう言い残して博士が去ったあと、しばし呆然と彼女の身体を抱きかかえていた僕は、とにかくどうにか起こさなければと操縦桿のボタンに触れた。
途端に目を覚ました彼女は、すいと起き上がって辺りを見回し、何事も無かったかのごとく僕に向かって「あらどうしたの」と首をかしげた。

彼女はその日からもいつもと変わらず可愛らしく美しく、手足は天鵞絨のようになだらかで柔らかく、太陽のように笑って小鳥のようにさえずった。
そしてたしかに彼女はとても従順で賢くなり、僕の言う通りに僕の好きな音楽を聞き、僕の趣味にかなった服を纏い、僕の差し出すものを共に食べ、僕のすすめた本を読み、僕の語りにまっすぐなまなざしで耳を傾けた。
そして何より、僕以外の人間に強い興味を示すことがなくなったのだ。もうあのいけ好かない連中とはしゃぎながら街に繰り出すこともない。
僕を他の人間と比べることもなければ、僕の与えられない高価なものをねだることもない。
他の人間に心惹かれ、僕を置いて去っていくことも無いだろう。
彼女は僕の膝にしなだれ寄りかかり、びい玉のように丸く艶のある目で僕をじっと見て、長いスカートの裾を広げ大きな花のように咲かせながら幸福そうに此処に座っている。
愛しい彼女は今や、僕の思うがままなのだ。

そこではじめて僕は、彼女の魂に何が起こっているか気がついた。

息も絶え絶えに駆けて研究所に辿り着くと、しかし、博士はすでに遠い遠い国へ旅立ったあとだった。

僕はどうしたか?

革のトランクを二つ抱え、従順で天使のような彼女の手を引いてすぐに街を飛び出した。大きな船と飛行機と車と、幾つもの列車を乗り継ぎ、博士を追った。
物語れば書き綴った紙が束になるほどの長い長い旅になった。
僕ら二人が海と山と河と湖と幾つもの国境を越え博士に追いついたときには、ずいぶんと長い月日が経っていた。

従順な彼女は、言われるがままにそこに立った。
そこで博士が不思議な孔雀の羽飾りを取り出し彼女の鼻をくすぐると、くしゃみとともに(彼女はくしゃみまでもが可愛いのだ)あの忌々しい小さな種のような機械が飛び出し、床に落ちて粉々に砕けた。

機械を呑んだときと同じように倒れた彼女を、僕は両腕で受け止めた。
一息置いて目を覚ました彼女は、まずぼんやりと辺りを見回し、何度も瞬きをした。そして身体を起こして眉をひそめると僕の袖を握り、
「あら、いやだ。私こんなところにいたくないわ。ねえ早くおうちへ帰りましょう。」
と機嫌を損ね、駄々をこね出した。

僕は不機嫌な彼女を力一杯に抱きしめて、声をあげながら安堵の涙を流した。










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