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「西野七瀬さん、ご結婚おめでとうございます」からの枝葉末節

西野七瀬さんと言えば、「乃木坂って、どこ?」に始まり「乃木坂工事中」においてバナナマンと共演していたアイドルだが、とりわけ設楽さんより日村さんの方に、好意を抱いていた。

その姿に、根暗な性格が垣間見え、大袈裟に言ってしまうなら少数派である社会不適合者として、ルッキズムに嵌まり込まぬよう、自分自身に対しての“保険”のニュアンスで、日村さんを充てているように感じた。
ややもすると、それは、「若くてカッコいい有名人の名を好きなタイプとして挙げると、アイドル活動としての障害になるから、あえて世間から反感を買わぬよう“丁度いい感じ”の男性タレントを口にしているだけ」といった、古くはナインティナインの岡村さん、比較的最近で言えばケンドーコバヤシさん、直近で言うのなら……すぐに思い浮かばないけれど――などなどが述べていたことが、その本意であると、混同されてしまいそうだが、個人的には違うと思っている。
その根拠は、美形の類(たぐい)のルックスで生まれてきた自分も、「好き嫌いくらい勝手にさせてよ」との気持ちがあるから。

“どうせルックスがいいから”という周囲の空気――
本来、誰に指図される筋合いもない趣味嗜好が、“ルッキズムに嵌まり込まぬよう”というバイアスのせいで、好感度とは逆の意味によって、西野さんで言うところの「(設楽派ではなく)日村派」になってしまうのが、「ルックスの良い社会不適合者」だ。

思い出すことがある。
小学校3,4年頃、「山崎」という、顔が30点の女子と席が隣だった。
顔が95点だった自分は、ナイーブな年頃だったにもかかわらず、山崎さんとのお喋りが噛み合ったからなのか、隣りに女子がいるという状況において、ひょっとしたら初めて、「楽しい」が「緊張」を上回っていたかもしれない。
しかし、その「楽しい」は言語化されたものではなく、あくまで日々の感情として、そこにあっただけであり、あまりにもそれが楽し過ぎたがゆえ、「これが『好き』というものなのか?!」と疑問に思ってしまったことが悲劇の始まりだった。

元々、自分には「好き」を定義付けていた女子がいて、一目惚れだった。100点。かわいい。
“好き同士”になりたいと思っていたのは、見た目が100点の女子だった。

だけど、そっちじゃないと思えば思うほどそっちに引っ張られてっちゃうという心理。
「100点が好き」ではなく、「100点を好きでなくてはならない」という価値観。
四十余年の人生の中で、唯一「10対0」で自分“だけ”が悪いという接し方を女性に対してしてしまった。

その接し方をしてしまったのが、言わずもがな小学生の時の山崎さん。言わずもがな“悲劇”とは、山崎さんにとって。
逆に言うなら、その後、「10対0で悪いのはお前だ」と、自分に対し、主観的に怒り狂っている女性がいたとしても、一切何の言い訳も出来ないということはない。
何かしらの言い分はある。

しかし、当時の山崎さんに対し、「100点を好きでなくてはならない」という価値観の元、非情なほど冷徹に自分は振る舞った。
具体的に何をしたのかと言えば、“無視”とか“邪険な態度”とか、その程度のことだったとは思うのだが、「とはいえ、こんなことされたら可哀想だよなあ……」という逡巡なき徹底ぶり。
過去、唯一それをやり遂げたのは、この時だけだったと思う。

「急に冷たくなった」「嫌われだした理由がわからない」という山崎さんの言葉を、その後、人づてに聞く。もちろん、山崎さんに「嫌われだした理由」がわかるはずはない。
こちらが勝手に「好き……?」という疑問を抱き、こちらが勝手に「100点を好きでなくてはならない」と否定しだしただけなのだもの。

「ルックスの良い社会不適合者」――
自分自身への保険として、ルッキズムに嵌まり込まぬよう、“30点には30点の良さがある”というバイアスを掛けてしまう者。
それは故意的な嘘というより、無意識による安全装置。その狭間。「安全装置」寄り。
西野さんがそうだとは断言出来るはずもないが、西野さんの結婚報道をきっかけに、何となく思いだし、そして色々と考えてしまった。

「好きかもしれない」という疑問さえ抱かなければ、お互い“楽しいだけのお隣さん”として、席替えの時までいられたわけだが、今ならば、言語化の枠を「ルックスが全てではない」という部分にまで拡げ再採点したり、「楽し過ぎる」という感情も「女友達としての好き」というレトリックに落とし込むことが出来ただろう――当時よりは。
それに、そもそも「30点」のルックスだったのかと言えば「60点」くらいだったように思うし、「95点」だったかと言えば、まあ、「91点」くらいだったよな。

ここまで振り切ってくれたなら「ボケ」として処理してくれるはず……岡村さん……ケンコバさん……うん

「山田裕貴」も「菊池風磨」も、よく知らないんだよなあ。どうせ俺より不細工なんだろうし。

ついでに。
自分が思い浮かべている山崎さんが、このブログを読む可能性は、0.000……%的な話なので、謝らない。
当時、人づてに聞いた話の続きとして、山崎さんは、「私のことを嫌いだした、あなたのことなんて嫌いだ」というようなことも言っていたらしい。
考えようによっては、直接ではないため、当人ではなく、“間者の意見というオチでした”という可能性もあるけれど、それでも改めて振り返ってみると、この反発力は凄い。尊敬に値する。
自分が逆の立場だったなら、この強さは出せない。つくづく自分如きと、その後、縁が続かなくて良かったと思う。
四十も越せば「91点」も「60点」も誤差。

とはいえ――
「100点」は「100点」と。
「90点」は「90点」と。
「80点」は「80点」と。
「70点」は「70点」と。
「60点」は「60点」と。
「50点」は「50点」と。
「40点」は「40点」と。
「30点」は「30点」と。
「20点」は「20点」と。
「10点」は「10点」と。
そんな選民意識を残したままの「ルックスの良い差別主義者」であった方が、この国における現実として、まだ社会性(普通)を保てていたのだろうか?

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