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小銭集めの至福

幼い頃から、小銭がじゃらじゃら入っている状態の財布が好きだったように思う。

中身が1円だらけでも、10円だらけでも、小銭をたくさん持っていれば満足だったし財布がどんなに重くても分厚くなっても喜んで持ち歩いていた。

でも大人になればなるほど、財布は小さい方がいいし、軽いほうが持ち運びやすくていいな、と思い始め、キャッシュレス化の波が到来しつつあるのもあり、今はミニマリストウォレットなるカード大の大きさのミニマムな財布を2年前から使っている。

一方でカード払いやバーコード決済で大体の店は支払いが完了してしまうため、私の財布の中にはあんなに好きだった小銭は1円も入っていない。

現金しか対応してない店だってまだたくさんあるわけだが、現金を持ち合わせていないときはそういった店には立ち寄ることすらなく、そもそも大手百円均一のショップがクレジット、バーコード決済対応になってからは私の住んでいる近辺じゃ、チェーンのラーメン屋か、弁当屋ぐらいしか現金のみの店はない。

それでも、小銭を持ち歩かなくなっただけのことで、相変わらず小銭には取り憑かれている。

どういう因果か私の手元にやってきた小銭たちは、キャッシュレス生活のおかげで、1円から500円まですべて小銭貯金の瓶の中へ放り込まれる。

コインランドリーに行くのに、たまに瓶の中から失敬することもあるが頻度はそうでもないので着実に瓶の中は小銭でいっぱいになりつつあった。

その瓶がいっぱいになったら、次はどうするのかまだ考えていないが、おそらく口座には入れないだろう。小銭の状態でじゃらじゃら持っているのがいいのだ。

小銭入金の手数料もキャッシュレス化に伴ってかかるようになってしまったし(おそらく手数料がなくても口座には入金しないだろうが)、貯金という名目だが特に使う予定もないので、自分が死んだあとで家族が生活の足しにでもしてくれればいいや、と思う。

でも、家族のために貯めている、というのは少し違う気がしてくる。

独身で今の所養うべき家族はいないのだが、自分のために貯めている、と考えてみてもやはりしっくりと来ない。

自分のために貯めるというのは、欲しいものがあるからその購入資金にするとか、老後の生活のため、とかそういうイメージだ。

そんな貯金も必要だしやるべきだとは思うが、小銭貯金とは別にしたい。

病気にかかってしまったり、事故に遭ったり、そんな急な出費のときでもなるべく使いたくない。

どうしても工面できなくて使うべきときが来てしまったらしょうがなく使うかもしれないけれど…(使う想像しただけで悲しい…)。

そんな愛する小銭貯金だが、この前父に「小銭ケースにしまったら?」との指摘を受け、試しに父の持っている、業務用の小銭ケースに1円を50枚しまってみたのだが、整然と並んだ小銭を見てスッキリ!…とはならなかった。

おかしいな?と思った。学生のときの小銭貯金はこうやってケースに入れて貯めていたのだが、今は、きちんと整列した小銭を見て、「こうじゃないな」と。

宝箱の中に溢れんばかりの金貨、ここほれワンワンと掘ってみたら大判小判がザックザクの、あの描写。

あれがいいんだと気づいた。

このままの調子で小銭を貯めていくと、最後には大きなコンテナが必要になりそうだが、今しばらく自分の好きなように小銭貯金ライフを送っていこうと思う。何円貯めたかよりも、山盛りの小銭が欲しい、という謎の欲望のままに。

これから先、もしかすると口座に入金しよう、だとか、使ってしまおう、だとか、考えが変わったり小銭貯金自体をやめてしまったりするかもしれないが、少なくとも今は、自分が貯めてきた小銭が私自身を支えているような気がする。
大げさかな。

2022.11.12

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