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ポール・ヤングとジュークボックスと

何かの拍子にふと聞こえてきて、途端に時がとまってしまう瞬間がある。
そんな曲がいくつかあるけど、タイトルも歌手も普段は忘れている。
あの頃は、何時どこへ行っても音楽が鳴っていた。
ニューヨークのレストランやバーには、よくジュークボックが置かれていた。
1990年前後の頃だ。

『フレディ・マーキュリー』の映画を見て、あの頃のことを思い出した。
当時の音楽シーンは明らかに今とは違った。
ジャンルや好みに関係なく、私のまわりには常に音楽があった。
それは、同じ時代を生きた人たちにとって空気のような存在だったと思う。
特定のアーティストのコンサートやライブに足を運ぶこともあった。
でも、意識しなくても自然に耳に届く音楽も多かった。

ポール・ヤングの「Everytime You Go Away」を聴いたのもあの頃だ。
仕事帰りに友人と待ち合わせたバーのジュースボックスから流れた。
今よりずっと一日が長くて、毎晩のように私は仲間や友人と飲んでいた。
取り留めのない話は一晩中続いて、日付けが変わっても気にならなかった。

今、思い出すのは、Kのお姉さんのことだ。
この曲は、彼のお姉さんの好きな曲だった。
私はお姉さんに一度も会ったことがないけれど、何度も話を聞くうちに、彼のお姉さん像が私の中で出来上がっていた。
しっかり者で気が強く、家族思いで、弟に何かあれば黙っていられない人。
彼がお姉さんから怒られた話もいろいろ聞いたけど、その言動力に私はいつも驚かされた。

彼の親族は集まると決まってお酒を飲むらしい。
酔うとお姉さんは、決まってこの曲をかける。
そしてその度に泣くので、彼は困惑すると笑っていた。
それでもその時はそばにいて、頭を撫でてあげる。
普段そんなことをすれば怒られるけど、その時だけはお姉さんも素直に頭を撫でられているらしい。
彼の両親も兄も親類縁者も、それぞれが盛り上がり飲み続ける。
お姉さんのことは、またかと誰も気にかけない。
彼だけが、ほうっておけないようだった。
お姉さんの話をする彼が、私は好きだった。

あの頃、お姉さんには家族が、2歳になる娘もいた。
お姉さんのパートナーは義弟にも親切な人だった。
「二人で飲みに行くんだ」
彼が楽しそうに話していたのを覚えている。

お姉さんの涙のわけを私は知らない。
彼にも聞かなかったけど、彼は知っていたのだろうか?
もしかしたら彼も、知らなかったかもしれない。



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