beau village

文化施設として使われていたその場所は、ひっそり閉館してから六年の月日が経っていた。わたしが関わるようになってからは1年ほどが経つので、これでようやく、季節ひとめぐりを見たことになる。

5000坪を優に超える敷地には、端正な建物が点在していて、白樺と落葉松の林をふくむ庭園と一体になりそれはまるでひとつの美しい村のように佇んでいる。
できるかぎりここをこのままに、文化施設として使ってほしいという所有者の希望を、叶えようというパートナーはなかなか現れなかったと聞く。それでも数年のあいだ、その「誰か」が現れるのをただ待っていたのだと言う。それはわたしにとっては、俄かには理解しがたいことで、でも同時にそのことこそが、この土地の持つどこかおおらかな品性と繋がっているのかもしれない、とも思う。

はじめて来たとき、とにかく美しい場所だと思ったことを覚えている。寒い寒い冬の日だった。誰にも遮られず降った雪はそのまま純白に積もっていて、ぱたりとそこへ倒れてみたら、ただ自分だけの影がくっきりと残った。重いドアを開けるとそこは六年分の沈黙がしんしんと降り積もった、でも限りなく美しい空間があって、最後の展示会が終わったままの空色の壁が、ぽつんと立っていた。
「きれいな建物ですね」
と思わずつぶやいたら、同行していたデザイナーの先生が「確かにとても美しく素晴らしい、」と言った。「そしてとても贅沢にしっかりと建ててある」。
わたしが施工をした会社の名前を告げると、先生はそうだろう、というふうにうなずいて、「きちんとお金をかけるということは、こんなふうにいいこともあるんですよ」と言った。

後に、何度もひとりでこの建物の中を歩くことになるのだけれど、そのたびにわたしは、あるフランスの建築家がつくっていったこの美しい光と影と、彼の明確なまなざしを、絶えず感じている。何かを残していく、伝えていくというのはこういうことなのか、と、人間の知性というものに感銘を受ける。

なぜか、場所と深くかかわる仕事といつも縁がある。
こんどは、馥郁と美しいこの場所が、さらに沢山の人の心を楽しませる、その未来をつくるのに参加するのだ。そのささやかでしっかりとした喜びを、忘れないようにしようと思う。


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