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    日々の暮らしのなかで。

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名残 #3

 その時、社長はこの町に移り住んできた。  生まれたのは、東京の下町だった。今はもう埋め立てられ海は遠くなったが、そのころはいつでも潮の香りがした。子どもの時分は、よ く海辺に遊びに行ったし、今では誰も信じないが、その頃は浜辺で海苔が伸ばし干されていて、風でひらひら飛んでくるそれを追いかけて つかまえては食べたりしたのだ。  だから始めてこの町に来た時、その土地にはその土地の匂いがするんだ、ということを社長は初めて知った。ここは少し湿った匂いがす る。 東京と比べやけに静かだ

    • 名残 ♯2

       社長がこの工場をつくったのは、三十になるかならないかの頃だ。当時、東京の下町には町工場がぼこぼことできて、働くには困らなかった。  たまたま遠い親戚がヘラシボリの工場をやっていて、そこで何年か働いた。とにかく、モノをつくって、つくって、つくった時代だった。ヘラシボリ、なんて今の若ものは知らない。何年か前、ボロボロになった電話帳を新しくしようと娘にパソコンで打ってもらった、そのうちのひとつに昔からの付き合いの工場があったのだが、それを指差しながらヘラシボリってなに、とのんびり

      • 名残 ♯1

        (突然書き始めてみます。フィクションです。続けるかも。)  プレハブのようなつるんとした建物には玄関と呼べるようなものはなく、昼間はトラックが始終出入りしている砂利道に面したアルミサッシの引き戸と、鉄の外階段から上がる無骨なドアの二箇所がそれぞれ入り口になっている。  朝一番に来るのは、勤めはじめてもう二十年にもなる年嵩の従業員で、毎日、その両方の扉と、納品用のシャッターを開ける。一旦開けると夏も冬も一日中開けっ放しで、夜、仕事を終えて最後に帰る誰かが申し訳のように警備会社

        • 楽園はまだ遠く(4)

           スリランカにはインドから、仏教の伝来とともにアーユルヴェーダも伝わったと言われていて、正式に医療として認められている。外貨獲得の有効な手段なのだろう、外国人向けの宿泊とアーユルヴェーダを組み合わせたプランなどもあるが、「治療」なので、最短でも一週間ほどから。なのでわたしの今回の滞在では短すぎて選べなかった。それでもせっかくなので、ホテルのスパへ行き2日間のオイルマッサージのコースを受けることにする。  サウナから始まり、ハーブでのスクラブのあとマッサージ。日本のサービスに

        名残 #3

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          楽園はまだ遠く(3)

           鳥の声で目が覚めた。  デジタル表示されている時計を見ると、朝6時半。ええと今日本は何時だっけ、と思う。スリランカと日本の時差は、3時間半だ。  昨日、日付が変わるころ、倒れるように寝てしまったけれど、そのかわりぐっすり眠れた。普段から時差ぼけのような生活をしているので、このくらいの時差ならほぼ支障がない。  シャワーを浴び花柄の服に着替えてゆるゆると朝食を食べに行く。それが世界のどこであっても、わたしはホテルの朝食が好きだ。開かれていて、よく知っている安心できるメニュー

          楽園はまだ遠く(3)

          楽園はまだ遠く (2)

           改札もない(ように見える)、簡素な駅を通り過ぎてすぐ車は停まった。ひっそりとホテルの名前が出ている、シンプルな車寄せ。なにかを誇るような、よくあるホテルのメインエントランスに比べると、とてもあっさりしていて、でもそれがかえって美しい。「用と結ばれる美の価値」という柳宗悦のことばを思い出す。つまり、用途の美は、装飾に優先するということなのだと思う。  よい滞在を、と言ってスーツケースを降ろし、ドライバーは手を振って去っていく。  豪華ではないが座り心地のよいソファに案内さ

          楽園はまだ遠く (2)

          楽園はまだ遠く

           ぼんやりと標識を見ながら歩いていたら突然体の大きな男がぶつかってきた。ぶつかってきた、のか、わたしがぶつかったのかもよく分からない。それでもかなりな衝撃で、こういう時の常でとっさに背負っていたリュックサックをぎゅっと握ったが、別に物盗りなわけでもましてや命を取りたいわけでもない。どしん、という衝撃を思い出して嫌な気持ちになりかけるが、ただ雑なだけだ、と思うことにする。  記憶の中にある空港よりそこはずいぶん雑多で、到着フロアと出発フロアが同じなのか、免税店となぜか家電を置

          楽園はまだ遠く

          "We used to be more sensitive."

          原美術館は大好きな美術館で、なるべく足を運ぶようにしている。場所それ自体と、そこを守っている人たちに対する信頼のようなものがあって、ハラ ミュージアム アークも含めて素晴らしいと思う。 作品と、それが展示される場所がわかちがたく縁を結んでいるところを見るとき、その空間にいることをとても幸せに思う。ただ、サイト・スペシフィックという言葉で表現されるものだけではなくて。 Lee Kitはわたしとほぼ同世代の作家で、香港に生まれ今は台湾で活躍している。2013年のヴェネチア・ヴィ

          "We used to be more sensitive."

          江之浦へ

           杉本さんがあのへんの蜜柑山を買ったらしいよ、と聞いたのはもう12年ほど前のことで、その時わたしは知り合いの、まさに相模湾を見下ろす蜜柑山のアトリエにいた。  杉本さんは杉本博司さんのことで、日本で一番といってもいいほど影響力のある現代美術家。もともとは写真家だったのだろうし、今も彼の写真作品はとてもとても素敵だけれど、今はその枠組みには当てはまらない。美術家、と呼ぶのでさえ、十分でない気がする。建築や舞台、彫刻まで手掛け、アーティストであると同時にキュレーターでもある。デ

          江之浦へ

          出張先の夜は更けて

          でも姉さん、あっちに行ってるあいだはずっとネイルしてなかったですよね」 と言ったのは、ひとまわりも年下の後輩で、のんびりしているようで色々とよく見ている。 出張先で、仕事を終えたあと案内してもらったお寿司屋さんで、お取引先のその人は「かわいいねそれ」と、わたしの爪を見て言ったのだった。 ビールもハイボールもなく最初から日本酒。北陸はとにかく地のものが美味しい。ついつい、すいすいと飲んでしまい、三人で、あっという間に二合が空いた。 「すみません派手で」 「いやいつ突っ込もう

          出張先の夜は更けて

          凡人にできること

          アートと名前のつくもののことを、いつも疑っている。 その一方で、芸術は、人を救うためにあるのだと、いつも思っている。 20年以上働いてきて、最近ようやくおぼろげにわかってきたことがあるとすると、わたしには得意なことなど何ひとつない、ということだ。ただ単にたくましく毎日を積み重ねて生きてきただけなのだ。どんなことでも、わたしよりうまくできる人はたくさんいる。 アートに詳しいわけでもない、財務のプロでもない、運営なんてやったこともない、テクノロジーには少し詳しいけれど、最先端の

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          おわりのはじまり

          友人が来てくれた時、たまたま入口で声をかけたわたしに、「なんと、現場にいるなんて」と言った。 「現場にいるどころか、毎日いるよ」と笑って答えたけれど、今まで現場にいなかったのは、このフェスティバルが始まってから3日きり。それ以外は、ずっと現場にいる。 鍵を開け、ゴミを拾い、ここに来る人すべての安全を確保し、すべてが滞りなく心地よく過ぎていくようにつとめる。それが自分の役目だと思っている。 何かが生まれ(もしくは生み出し)、それを世に出し運用していくすべての過程が好きなのだと

          おわりのはじまり

          秋のはじまり

          「やっぱりあいつは風の又三郎だったな。」 「二百十日で来たのだな。」 「靴はいでだたぞ。」 「服も着でだたぞ。」 「髪赤くておかしやづだったな。」 (宮沢賢治『風の又三郎』) 東京を離れて1か月と少しが経った。そうでなくても季節が身近にある毎日。毎日浅間山を見上げては、ここは空が近いなあ、と、思う。 どう、と風が吹いて、花桃の実が落ちる。青い胡桃も。 ふかふかと敷かれたウッドチップの上を歩いていると、季節が緩やかに移ろっていくのがよく分かる。そろそろ紅葉の兆し。そんなに駆

          秋のはじまり

          もし、

          「わたしが明日死んだとしたらどうしますか」 「死なないから大丈夫だ」 そんな会話を経営者とするのは馬鹿げたことだとは分かっているけれど、少し疲れていたので思わず口をついて出てしまった。ただ、そのことで少し気が軽くなった。3ミリくらい。 「お前と同じレベルの人間は雇えない」 そうなのだろう、きっと。 わたしだって20年を無為にすごしてきたわけではない。 でも、仕事はひとりでするものではない。ここは会社なのだ。チームに新しい人を迎えたい、という希望くらい叶ってもいいじゃない

          もし、

          beau village

          文化施設として使われていたその場所は、ひっそり閉館してから六年の月日が経っていた。わたしが関わるようになってからは1年ほどが経つので、これでようやく、季節ひとめぐりを見たことになる。 5000坪を優に超える敷地には、端正な建物が点在していて、白樺と落葉松の林をふくむ庭園と一体になりそれはまるでひとつの美しい村のように佇んでいる。 できるかぎりここをこのままに、文化施設として使ってほしいという所有者の希望を、叶えようというパートナーはなかなか現れなかったと聞く。それでも数年の

          beau village

          五月の風

          ほんの数日前には眠っていた緑が、一時に芽吹き始めた。麗しい五月。風が薫るのも道理だという気がする。 季節がひっそりとその息づかいを変える、そういう日が一年には何度かあって、目の前で起こるその美しいできごとを、わたしたちはただ黙って感じているしかない。 いずれにせよ、この時期の木々のきらめきは、ものぐるおしい。木立のなか歩きながら、自分がどこか何かに還っていくようで、熱狂のなかしんとしていくこころをうっとりと、鬱蒼と眺めている。

          五月の風