凡人にできること

アートと名前のつくもののことを、いつも疑っている。
その一方で、芸術は、人を救うためにあるのだと、いつも思っている。

20年以上働いてきて、最近ようやくおぼろげにわかってきたことがあるとすると、わたしには得意なことなど何ひとつない、ということだ。ただ単にたくましく毎日を積み重ねて生きてきただけなのだ。どんなことでも、わたしよりうまくできる人はたくさんいる。
アートに詳しいわけでもない、財務のプロでもない、運営なんてやったこともない、テクノロジーには少し詳しいけれど、最先端のことがわかるかといえばそうではない。
特にこの数か月やってきたことと言えば、場所を整え、掃除をし、消耗品の補充をして、投影機材の電源を入れ、それが立ち上がらなければ脚立にのぼり復旧させて、昼間はできる限り沢山の人と話し、時にはビールを注ぎ、システムが落ちれば走っていきそれを立ち上げ、タープのロープが緩んでいれば直し、呼ばれれれば名刺を持って挨拶に行く、そういうことなのだ。誰にでもできることだ。

そして、わたしは、それが誰にでもできることだということを知っている。
つまり、そういう人間にできることは、いろんな人のさまざまな作品が世に出たときに、できる限りそれが尊重されるように取り扱う、それだけなのだ。

作品というのは、アートピースだけのことではない。たとえばある人の素晴らしい受付の対応を見たときそれも作品であると思うし、ラジオで流れるひとつらなりの番組も作品だと思う。それぞれがそれぞれに、尊重されるような世の中ならば、そこはどんなに生きやすいところなのだろうか、と思う。

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