さらば斎藤佑樹②プロ最初の2年、田中将大との投げ合いを振り返る

北海道日本ハムファイターズの斎藤佑樹(33)が現役引退を表明した。
前回は、早稲田実業高校、早稲田大学野球部、そしてプロ入りまでの軌跡を追った。

“斎藤佑樹は、日本ハムでエースナンバーの背番号「18」を与えられた。
2011年4月7日、斎藤佑樹はプロとしての第一歩を踏み出すことになる。”

プロ1年目、大器の片鱗を見せる

斎藤佑樹は、日本ハムでエースナンバーの背番号「18」を与えられた。
2011年4月7日、斎藤佑樹はプロとしての第一歩を踏み出した。
札幌ドームでの千葉ロッテマリーンズ戦にプロ初登板・初先発すると、5回を投げて、4失点(自責点1)で初勝利を挙げた。
4月だけで2勝を挙げた。人気先行ではあったが、オールスターゲームにも選出された。

ルーキーイヤーは19試合に先発、規定投球回には届かなかったものの、防御率2.69、6勝6敗と大卒ルーキーとしてはまずまずの成績を収めた。
9月10日、Koboスタジアム宮城での楽天戦では、甲子園で雌雄を競った田中将大とも初めて投げ合った。

だが、すでに楽天のエースに成長していた田中は1失点完投と、プロでは貫禄を見せた。斎藤は4点を失ったが、それでも最後まで投げ切ってプロ初完投を記録した。

そのシーズン、田中は自己最多の19勝で最多勝、防御率1.27で最優秀防御率のタイトルを手にした。

高卒プロ5年目と大卒プロ1年目。
プロでの実績に差はあるが、それが実力の差であると言える根拠はまだ誰にもなかったはずだ。当事者の二人でさえも。

プロ2年目、開幕投手に抜擢、4月までに3勝を挙げるが・・・狂い出した歯車

そして、斎藤にとってプロ2年目の2012年は開幕投手という大役が巡ってくる。このシーズンから指揮を執る栗山英樹・新監督に、MLBに移籍したダルビッシュ有の抜けた穴を埋める存在を期待されていた。
札幌ドームでの開幕戦、斎藤は西武を相手に好投、9回を投げ切り、プロ初の完投勝利を挙げた。
続く、4月6日、QVCマリンスタジアムではの千葉ロッテ戦でも7回2失点と好投し、開幕2連勝。
斎藤は好調を維持したまま、4月13日、札幌ドームでの楽天戦で、プロ入り後2度目となる田中将大との投げ合いに臨んだ。
本拠地で3万人の観衆が見守る中、斎藤はここでも7回を投げて2失点と抑えた。だが、北海道で高校時代を過ごした田中が8回1失点と斎藤の出来を上回った。
斎藤は甲子園でのライバル、田中将大との投げ合いではまたも勝つことができなかった。

それでも、斎藤は4月20日のオリックス戦(ほっともっとスタジアム神戸)では、自己最多となる131球を投げ、待望のプロ初完封勝利を挙げる。
斎藤は4月までに3勝を稼ぎ、リーグトップの勝ち頭となった。
5月4日、札幌ドームでのオリックス戦でも大量援護に守られ、7回2失点で4勝目。

ここまでは注目される場面で必ず結果を出す、「持っている男」の面目躍如であった。
だが、5月12日、函館オーシャンスタジアムでの西武戦、斎藤は2回途中までに被安打6、4四死球を与え、ノックアウトを食らう。
ここから斎藤の歯車は微妙に狂い始めていった。
好投しても勝ち星がつかず、そして登板毎に好投と不調を繰り返していくようになる。
斎藤が5勝目を挙げたのは自らの24歳の誕生日となった6月6日、交流戦の広島戦で、1か月も白星から遠ざかっていた。
そして、そこからさらにトンネルは続く。斎藤は4戦続けて勝ち星から見放された。開幕1か月で4勝を挙げた右腕が、その後、2か月で1勝しか積み上げられなくなった。

斎藤佑樹と田中将大、プロ3度目の投げ合い

7月13日、Koboスタジアム宮城では、斎藤と田中のプロ3度目となるマッチアップが行われた。
田中はここまで5勝(2敗)、斎藤もここまで5勝(7敗)。勝ち星だけ見れば互角だが、防御率では田中が1.80、斎藤は3.12。

田中は前回先発を回避した故障明けにもかかわらず、日本ハム打線に対し8安打を浴びながら、8回を無失点と粘りの投球を見せる。このシーズン自己最多の13奪三振の力投で、斎藤を越える6勝目を挙げた。

一方の斎藤は6回を投げて、被安打7、6四球・1死球の大乱調で5失点、7敗目を喫した。

振り返ってみれば、2012年7月13日、この日の投げ合いが、斎藤と田中にとってプロ最後の対戦となった。それは二人の投手が別々の道を歩いて行く象徴となる日となった。

この後、このシーズンに、斎藤は勝ち星を挙げることはなかった。
眼前の打者と戦う前に、自らの右肩の痛みと戦うようになっていた。

一方の田中は前年の19勝から勝利数は大きく減らしたものの、10勝4敗、防御率1.87はリーグ2位、8完投、完封勝利4はいずれもリーグトップで、大エースへの地歩を固めつつあった。
そして、その翌年、2013年、田中は第3回WBCでは侍ジャパンの一員として参加した後、未曽有のシーズンを送ることになり、斎藤は開幕前に、右肩関節唇を損傷している疑いがあることが報じられる。

2006年8月21日、甲子園の決勝の舞台で凌ぎを削った18歳の若者二人にも6年という月日が流れていた。その月日は、川の流れのように逆さに変えることができないほど長く、遠いものになった。

(つづく)

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