阪神-巨人間の移籍選手(阪神・馬場皐輔、現役ドラフトで巨人に移籍)

NPBの第2回となる「現役ドラフト」が実施され、移籍選手12名が公表された。

その結果、阪神タイガースの投手・馬場皐輔(2017年ドラフト1位指名入団)が読売ジャイアンツに移籍することになった。

阪神タイガースと読売ジャイアンツは共に伝統ある球団で、「巨人-阪神戦」は「伝統の一戦」と呼ばれるライバル関係にあることは周知の事実だが、それゆえにか、過去、両チーム間で選手の移籍が行われたケースは非常に少ない。



巨人-阪神間で選手の移籍が成立したのは10度目


・阪神ー巨人間で選手の移籍が成立したのは、2020年オフ、巨人・山本泰寛(内野手、2015年ドラフト5位入団)が金銭トレードで阪神に移籍して以来、3年ぶりで、10度目(2リーグ分立後は9度目、交換トレード、自由契約からの入団、金銭トレードを含む)

・阪神の選手が退団した翌年に、巨人に入団するのは、2003年オフの野村克則(捕手)以来、20年ぶり、6人目(投手は4人目)

・阪神の生え抜き日本人選手が巨人に移籍するのは、1990年オフ、鶴見信彦(内野手、1988年ドラフト2位)以来、33年ぶり、3人目

・阪神の日本人投手が巨人に移籍するのは、1983年オフの鈴木弘規(内野手、1974年ドラフトで阪急に4位指名で入団)以来、40年ぶり、3人目

・阪神のドラフト1位指名選手が巨人に移籍するのは、1978年オフの江川卓(投手・1978年ドラフト1位指名)以来、45年ぶり、2人目。
直接でなければ、2011年オフに巨人に入団した1997年のドラフト1位の中谷仁(捕手)以来となる。

巨人と阪神の両方に在籍した選手は17人、最初の選手は呉昌征

巨人から阪神、阪神から巨人への移籍に限らず、両チームに在籍したことがある選手ですら数少ない。

上述の移籍選手に加え、ジョージ・アリアス、中谷仁、鶴岡一成を含め17人だけである。

・巨人と阪神の両チームに在籍したことがある最初の選手は、呉昌征(呉波)である。
巨人には1937年秋から1943年まで在籍し、外野手として活躍すると、1942年に自身初の首位打者を獲得、1943年には当時日本記録となる29回盗塁連続成功(1964年に南海ホークスの広瀬淑功が31回で記録更新)、史上初の2年連続首位打者を獲得し、最高殊勲選手(MVP)受賞をすると、オフに巨人を退団し、翌1944年に阪神に入団した。
阪神では投手としても活躍し、1946年には野手として規定打席数、投手としても規定投球回数に到達、野手として打率.291、投手として防御率3.02、14勝を挙げ、6月16日の対セネタース戦ではNPB史上14人目となるノーヒットノーランを達成している。
両チームで本塁打を放ったことがある最初の選手でもある。

・巨人と阪神の両方で4番打者を務めたのは、広沢克実だけである。
巨人では61代の4番打者で56試合に出場し、13本塁打、阪神では81代の4番打者で38試合に出場して6本塁打を放っている。

・巨人と阪神の両方で勝利投手になっているのは小林繁石毛博史のみであり、両チームでセーブを挙げているのは小林繁のみである。

小林繁は巨人で62勝13セーブ、阪神で77勝4セーブ、計139勝14セーブを挙げている。
石毛博史は巨人で24勝80セーブ、阪神で1勝0セーブ、他に近鉄で9勝3セーブ、計34勝83セーブを挙げている。

今回、巨人に移籍する馬場は阪神に在籍した6年間で通算7勝を挙げているので、来季以降、巨人で勝利投手になれば、3人目となる。

巨人と阪神の両方で監督を務めたのは藤本定義のみ


なお、選手ではないが、藤本定義が1936年から1942年まで東京巨人軍の監督を務めた後、1961年から1968年まで大阪タイガース・阪神タイガースの監督を務めたことがあり、1962年と1964年の2度、セントラル・リーグ優勝に導いている。

阪神の監督として2度、優勝を達成したのは1リーグ時代の石本秀一、若林忠志に次いで、藤本が3人目だが、今季、岡田彰布監督が2005年以来、自身2度目のリーグ優勝に導いたことで59年ぶりに達成している。


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