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文章の中に、真実の自分を見つけようとしているようなところがあります


思えば、子供の頃から文章を書くことが好きでした。言葉に触れることが好きでした。

物語を作ることも、本を読むことも、読書感想文を書くことも、わたしの主張で意見を述べることも。

特に、小学生の時に配られた「先生あのね帳」に日々の出来事を書くこと、中学の時に配られた生活日誌と部活日誌を書くこと、そして先生からコメントをもらうことが好きでした。

誰にも見せないノートに日記をつけたり、自分の気持ちを書いたりすることも多かった。

大学の時、小学生の頃に読んでいた児童書の作家が自分の学部で授業を担当していることを知って、そうして専攻とも関係なく、友人もいないのに履修した「クリエイティブライティング」というエッセイを書く授業は、間違いなく、4年間でとった授業の中で1番楽しかった。


文章の中に、真実の自分を見つけようとしているようなところがあります。

エッセイを読むことが好きです。
ひとの生活や思考を、言葉でのぞくことが好きです。

社会人になって、4年目の春。
起きて、朝ごはんを食べて、働いて、家に帰って、寝て、また起きて。

その繰り返しの中にある、ピアノを弾いたり、好きな人と大切な時間を共有したり、仕事仲間や友人とたわいもない話をする確かな幸せ。

毎日繰り返される、なんてことのない日常を書きたいと思いました。

そして、毎日繰り返されるなんてことない日常の中に、ときおり訪れる暖かいものに包み込まれるような気持ちを記したいと思いました。

家族や友人に見られたら、ちょっと恥ずかしくなるくらいには正直に、でも、見られてもいいくらい素直に、読み手を意識せず、自分のために書きたいな。

鍵を付けられないので、アカウント名を本名とは違う名前にしようと思ったけれど(鍵付き機能欲しい)、そうしたらなんだかいつわりの文章を書いてしまいそうだから、辞めました。


今日で、25歳の4月が終わります。

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