「ここからは離れない」という中心軸をみつけること
下心なく好きと思えるもの。
ずっと興味があって、関わっていたくて、自分を作ってくれているもの。
部活が忙しくても、受験期も、上京しても、働き始めても、充実している時も、他人のSNSを見ることが辛い時も、恋人がいる時もいない時も、恋をしている時も、失恋した時も、嬉しい時も悲しい時も、ずっと離れないもの。
音楽だなあ。
最近はフォーレとプーランクばかり聴いていたけれど、久しぶりにショパンの気持ちになって、今日はスケルツォ2番を聴く。
半年ほど前、とてもかっこいいスケルツォ2番を聴かせてもらって、そこからお気に入りの曲になった。
冒頭もかっこいいけれど、中間部が好き。
ショパンですが、スケルツォは2番、バラードは4番、即興曲は1番、協奏曲は1番が好きです。ワルツとエチュードは選べない、マズルカは知らない。
どうぞよろしく。
スケルツォ2番、いつか弾きたいな。いや、今日譜読み始めよう。
弾きたい曲がたくさんで、人生が足りないね。
そんなわけで、なぜだか一度も辞めたいと思うことなく音楽を続けてきたから、おばあちゃんになってもきっと弾き続けてるんだろうな。
もう1つ、「ここからは離れない」という自分の中心軸は、「教育を考える」だと思う。
さて、どうしてこんなことを考えているかというと、先日、先生が学生に以下のようなことを言っていて、なるほどなあと思ったので。
ということで、わたしは音楽と教育かなあって。
子供の置かれている環境に興味があるし、学校の中で、学び、育っていく過程に目を向けていたいし、目標のために頑張っている人をずっと見ていたいし、頑張る意欲をくじかれてしまう環境に置かれている人に手を差し伸べていたい。
そんな漠然とした感じだったけれど、教育社会学を勉強して、中高の教員免許を取得し、それから保育士の資格を取得し、色々考えて大学へ就職した。
もし転職することがあっても、何かしら「人が育つ場」に携わっていたいと思う。
繰り返しスケルツォ2番を聴きながら、カフェオレを飲んで思った、午前9時。
髪を切りにいって、帰省します。
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