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退職した:その後①

今日は4月1日。3月末までで退職したことになるので、今日は「失業者」としての第1日目となる記念の日。写真にあるように、移住+生活変化の記念植樹としてレモンの木を庭に植えた。うまく育ってくれるといいな。

今回の生活の変化は私の人生にとって大きなものの一つ。今まで大学を卒業してから、フルタイム・パートタイムを合わせると、全く働いてない、という期間はごくわずか。娘を出産した時も、(アメリカで)週2回だけ日本語を教えていたので、クリスマス・お正月の休暇が明けたすぐ=娘を産んで2週間でその仕事に復帰した。かなり体はキツかったのを覚えてるけど、同時に社会とのつながりを保ててたこともありがたく思えたことも記憶にある。

という感じなので、今回のように仕事を全くしていない・当てがない、というのは珍しい経験なのである。暇か?というと全くそうではなくて、NZに越してきてから2週間というもの、毎夜クタクタになる程疲れてぐっすり眠れるくらい何かすることがある。新しいところだから、単純に通りの名前を覚えるために近所を歩き回ったり(私は地理的にどこに住んでるのかを把握する、ということ。方向音痴の私にとってはかなり大変だけど、迷子にならないために必要)、家の掃除をしたり、庭の手入れをしたり、毎日の献立を考えたりする家事一般に慣れる(これも食材がかなり違うので、ここで手に入るものでお安く、かつ健康的で、まあまあ美味しいものを作る、というのには時間がかかるのです)、お洗濯の頻度と干し方、お掃除のやり方も当然違う(こちらでも家の中では靴は脱ぐようにしてるけど、日本ほどきっちり脱ぐわけではなく、犬もいるから、お掃除の基準も変わってくる。こちらのお掃除道具や洗剤の用途別に慣れるのも大切)。こういう細かい点についても、また後日書いていくかもしれない、備忘録のため。

この中で失業者1日目として、今後仕事はどうする?という疑問も少し湧き出してくる。友達のクッキー屋さんを手伝わせてもらおうか、と淡い期待をしていたのだが、今ビジネスがあまりうまく行ってなく(NZは緩やかな景気後退にある)これは今のところすぐには望み薄。こちらの大学の知り合いに声をかけて、なんでもいいからパートのようなことがないか、聞いてみようか、とか、日本食レストランでアルバイトしてみようか、とか。そもそも、こっちの人はどう仕事を探すのか、そして私には「私ができます」というスキルがあるのか、という「暗い陰」が私の気持ちに出てくる。仕事が見つからない、ってことは私にそれだけの価値がないってこと?なんて究極の質問をしだす自分もいる。

夫も娘も、そんなこと考えないで、しばらくはNZの生活を楽しめばいいじゃない、と言ってくれて、私もその考え方には基本的に大賛成なので、こちらでのお料理が上手になるようにレシピ本をめくってみたり、犬との散歩を楽しんだり、ピアノを練習したりして、「そっか、こんな生活をしばらく続けるのもあり、かな」と思ったりもする。まずはボランティアから始めるのもいいかな、なんて考えたりもする。

究極、「仕事」ってなんでするのかな?お金のため?自己実現のため?自己肯定感のため?人に会うため?社会参加・貢献のため?退職1日目で、こういうことを考える私でした。

でもこの質問を自問自答することは同時に、なんのために移住したのか、ということも思い出す機会にもなったのです。忙しいにかまけず丁寧に楽しく日々の生活を楽しむ、これが一番大事なんだ、と。

珍しく揺れ動くアラ還女子のけいこでした〜!


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