◇0925日記 ババ抜きのババ

 近頃仕入れた、オールドミスという言葉に感銘を受けている。

 わたしがその言葉を知ったのは20世紀初頭を描いた海外ドラマであり、日本でも一時使われていたそうで、ネットで調べると「和製英語」であり現在では「死語」であることが伺える。正しくは「Old maid」。意については気になった人だけ調べてみるといいが、かなり酷い言葉であり、侮辱する際に使われている。わたしが見た海外ドラマでは未婚の老女を示し、度々棘のある物言いに使われていたが、当の老女たちは「オールドミスの何がいけないっての?」と返し、妙な自信と誇りを持ち合わせ、気高い表情を貫いていた。

 20世紀初頭という今から100年も前の時代で結婚をしない人生を悔やまないことは、多様性やグローバリズムを謳いつつも「結婚しない選択」をマイナスに受け取る現在よりもずっとずっと、決断することや受け入れることに勇気がいるように感じる。100年前に結婚しない選択肢を恥じとはおくびにも出さない女性がいたことは、アラサーに片足を突っ込みつつも結婚する予定も相手もないわたしを安心させてくれた。

 この言葉に出会う前のわたしは、「いつぞや白馬に乗った王子様が迎えに来てくれるかわからないから。」と人間関係や社会、働くことに対して、少し浮いたような、いつでも足を洗える状態にして置かなければならないような、そんな尻軽さを持っていた。ただ今でも自分の座っていた場所を立ち去る尻軽さを持っていることに変わりはない(それに尻軽な自分を早急に変えようとも思わない)が、オールドミスを知ったとき「そんなことはない」と腹を括った。そんなこととは王子様が迎えに来ることをはじめ、王子様を受け入れる自分、たまたま王子様と出会うシチュエーション諸々。白馬の王子様が迎えに来るかもしれないと待ち望んでいたのは、自分から肉食恋愛をする勇気もないし「この人じゃなきゃダメなの!」という固執もないが、確たる信念を持ち合わせていないのに結婚をしないと公言できない、それなら「白馬に乗った王子様が迎えに来る」か「石油王とバッタリ出会う」かを吹聴しているほうがずっと楽だからと怠けているような気がした。怠けながらも「努力はしてるンすよ」と恋愛に現を抜かしたり、身支度を整えて素知らぬ顔で強がっていた。

近況報告がてら連絡をとった大学時代の友人は「相変わらずやね」と笑っており、わたしののらりくらりとした生活はもう5年近く続いているものだと振り返った。相変わらずオススメされれば断ることを渋り頭を抱え、相変わらずわたしを好いてくれる異性のことを足蹴に出来ず、相変わらず呼ばれれば深夜だろうが平日だろうが遊びに出かけ、相変わらず定まることのない未来を描いていて、のらりくらりと一人でいる。一人だからこそできる贅沢だろうし、一人であることはこれからの人生で早々に変わることのない現状だと過ごして、気が付いたらオールドミスになっているのといいかもしれない。だってなんだかかっこいい響きだもの。

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