【再掲】◇0116日記 総菜屋のうま味

 わたしは根っからの貧乏性だ。年明け早々風邪をひいて以降、食が細くなった。1日何も食べない日や栄養補給ゼリー だけを摂取する日が続いた。ようやく食欲が戻り始め、何か食事らしい食べ物を食べなくてはいけないと使命感が出て来たとき、わたしは鴨川を渡ってすぐの商店街にある総菜屋を思い出した。その総菜屋では、弁当や量り売りの惣菜、天ぷらといった揚げ物が売られており、総菜の種類はひじきの煮物から茄子の揚げ浸しといった私の大好きな「家庭の味」を主に扱っていた。病み上がりでチェーン店の牛丼という気分ではないし、スーパーで野菜を買って寒いキッチンで作るのも億劫だが、どちらかというとやさしい味の料理が食べたい。そして色々な味の品を少しずつ食べたかった。ただ、食が細い時期に栄養補給ゼリーや職場でいただいたお菓子だけを食べていたせいで、食にお金をかけるのがどうも腑に落ちなく なり、財布の紐がいつも以上に固くなった。そこでふと川向こうにある総菜屋を思い出した。

 大学時代、総菜屋の近所でアルバイトをしていた。アルバイト先のオーナーからまかない代として握らされた300円でお腹いっぱいにご飯が食べたくて通ったのが、その総菜屋だった。総菜屋のお弁当は、おかずがたくさん入っていた。肉か魚の主菜に野菜やがんもなどの副菜、漬物か佃煮。日によって中身は変わったけれど、色々な味のものを少しずつ食べることができた。1つ500円ほどのお弁当だったが閉店間際になると半額になるので、学生時代のわたしは握りしめた300円で足早に総菜屋へ赴いていた。何度も足しげく通っていたせいかレジのおばちゃんは、「これおまけでつけとくわ」とマカロニサラダを入れてくれることもあった。バイトをやめたと同時に引っ越しもしたの で、それから総菜屋に行くことはなくなった。  

 そして病み上がりのわたしは社会人になっても貧乏性と食への妥協ができず、仕事が終わってそのまま、数年ぶりに総菜屋へに向かった。レジのおばちゃんは相変わらず、誰にだって「まいど、おおきに」と声をかけていた。食欲が全回復ではない上に、夕飯時ではあったがその日1食目の食事だった ので、おかずだけが入った弁当を買った。鳥の甘酢餡を主菜に回鍋肉のような味付けの炒め物、がんも煮、柴漬けが入っ ていた。閉店間際だったから、半額の税込み216円。安さも変わっていなかった。それに優しい美味しさも変わっていなかった。出汁なのか調味料による味付けなのか、舌に広がる「いつも」の味がたまらなく懐かしかった。また買いに行こう、もちろん半額の時に、と頭をよぎり、わたしは自分のことを心底貧乏性だと思った。この出来事をここに書きながら羞恥心でいっぱいだし、責められたとしてもぐうの音も出ない。収入がある社会人になっても、食費数百円数十円でぐらついている自分を情けなく思うけれど、これは染みついた貧乏性のせいだと割り切ることにした。それに、わたしは総菜の味が好きだ。好きな味は毎日毎食飽きるまで食べていたいほどの偏食ができる性根のため、わたしはまたきっとその総菜屋へ足を運ぶだろう。「温める?」「箸つけとこっか」「レシートは袋に入れとく?」と気さくな顔をしてレジを打つおばちゃんに「これおまけでつけとくわ」とマカロニサラダをしのばせてもらった日を思いながら、いそいそと川を渡るだろう。

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