見出し画像

2024/03/07 嘯いて奮い立たせればよい

2024年も明けて早くも春も始まろうとしている。
年末を走る酒の席で、同年代の方達が「若い頃に比べて時間の流れが早くなってあっという間に1年が経っちゃう」と話しても、わたしは暇さえあれば朝寝昼寝をするから時間の流れの早さは相変わらず。眠っていることが多いからだろうと思っている。本当に何もしていないし、何かをしたい気分が起きない。思い返しても、あれこれというものがパッと思いつかない。
わたしは日々を惚けていたいから、まめに手帳を書く。大まかな内容として「予定(必須)」「予定(できれば)」「やりたいこと(余力があれば)」「特に予定してなかったけどトピックスとしてやったこと」を記す。他にも給与だとか税金の支払いだとかクレジットカードの引き落としも、忘れっぽいから金額もいっしょに書く。いつでも忘れられるように、書いておくととても便利なのだ。
予定に入れたけど、実行しなかったことは横線で消す。消しゴムや修正テープでは消さず、予定していた自分の痕跡を残すために、わざと文字がわかるように打ち消し線をつける。後で見返したときに、また取り組みたくなるかもしれない。いいじゃん。そんなこともあったよな、と振り返ってほくそ笑む。

年が明けてすぐ、誕生日が来てしまった。飲み歩いている出先で「31歳になって何かやってみたいことはある?」と聞かれて、頭を抱えた。何かをしたわけでもないのに、何かをした気になって、何かをしたいということがその場で思いつかない。細々と浮かぶことはあるけれど、やってもやらなくても生死には関わらない。そう、生死には何も関わらないよう意図を張り巡らせて生活を回しているなに。もうこれ以上足すことなんて早々になにもないのに。何かやってみたいことを、他人は持つようで、自分も何か答えられるように持ってみたい気にもなった。あてられた。やり遂げられずとも。
はたと、「やりたいこと100のリスト」というものを思い出した。そういえばそういうのがあるらしいな、としめしめ思い出した。
100を挙げ連ねるのは根気が必要だった。まずは好奇心のまま3つ書いて、すぐに頭を抱える。他に何するの?最近の生活を思い返して、ルーティンの中で続けたいことを目標がてら書き記す。GoogleMapを眺め、家の周りや生活圏のラウンドマークを指でなぞりながら、やってみたいことを書き記す。合間に、そろそろやっといた方がいいと思い付いた、ゲームのメインストーリーを完結することだとか、数年行っていない歯医者の定期検診に重い腰を上げて行かなければならないことだとか。もう50そこらを挙げると何も思いつかなくなり、書き記すことに頭を抱え始める。
コロナ禍も明けたとて、時間もお金もないわたしは以前のように放浪の旅に行くバイタリティ
はない。GoogleMapを指先ふたつで地図を引きで眺めて、この国に興味はあるけど、よく知らないから何をしたいとも思い付かない…そうだ、好きな、気になる国を見つけてワクワクしてやってみたいことを思いついてみたいなあ。それだ。お気に入りの国を見つけてみるのも楽しそうだ。ひとつ挙がる。思い付くだけ華なのだ!と花畑を走り回るような、天真爛漫な気持ちが走り抜く。そんなこんなで5日間かけて、わたしは「やりたい100のコト」を掻き集めた。1月も後半に入ったあたり、わたしは絞り出したやりたいことリストをNOLTYというWebサービスで画像化した。



書き記して、ひとつのことをやり切った充足感で、画像化したやりたい100のコトを家族にシェアした。家族は、「そんなにたくさんあれこれを書いて、叶えられるの?」と言いながら、怪訝な顔で画像を眺めた。叶えられなくたって、別に死にはしない。叶えらるために(叶えられなくとも)大金を払うわけでもない。目を覚ましてぼうっとして、昼寝をしようとするわたしの頬を引っ叩いて律するための、目覚めのスパイスなのだ。
「俺もいっしょにするの?こんなにたくさんいっしょに出来ないよう」と家族は困った顔をして笑うから、いっしょにしなくていいよう、違うんだよう、と宥めた。わたしは1人だって何かを出来る、いい歳した大人なのだから。31歳、今年やるコトは100もある。

出来ないことを考えるより、やったら面白いかもしれないくらいの背伸びを書き記したリストが出来上がった。
今のところ、3月も明けて達成5つ。これからどんなことも出来るのか、記してなくてもやってみた面白いことだとか、どんな有象無象が駆け巡る生活が待ってるのか。
楽しみは今日も尽きないね。

ご愛読いただき誠にありがとうございます。 サポートいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。 (M子/obmmm)