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大鏡の人びと 行動する一族 渡辺実著 

大鏡とは、京都の北西紫野に雲林院という寺があり。嵯峨天皇の弟の淳和天皇の離宮であった、そこで法華経を講ずる法会に老若男女が多数参会した、中できわ立って年老いた翁二人、媼がいて。年は百九十歳で名は大宅世継、もう一人は百八十歳で夏山繫樹と名乗り媼はその妻であった。この翁たちが、説経の講師を手持ち無沙待つ間に、お集まりの皆様方に、自分たちの見聞きした昔の出来事を話してお聞かせしようではありませんか、といって歴史物語を始める。世継は藤原道長の卓越した栄華を語るには帝や后、大臣公家たちの話をするので、世の中のことも明らかになる、と前置きして文徳紀へ流れ込む。系譜をたどり、大宅世継の語る数々の逸話をつないでいく、対話形式の歴史物語。物語の中で世継の言葉に、後一条天皇を当代の帝として、文徳天皇の即位した、嘉祥三年[八百五十年]から今まで百七十六年とある、物語の現在は万寿二年[千二十五年⁆になる。書かれたのは、摂関政治が終わりに近づいて院政が始まる前辺りと思われます。語りを主導するのが世継、それを踏まえて確認や補足を試見る夏山茂樹、聴衆の中で強い興味を持った若侍が、熱心にあいずちをうち、時には自分の聞き知っている所によれば、などと出来事の多元的な見方をし、この若き侍の発言に道長の政への批判を含ませ、[大鏡]は道長賛美一色で書かれた作品ではない。と言える理由になっております。がこの本は大鏡を分析して、何故に文徳天皇から語られる意味を説いている。藤原家の祖は、鎌足の息不比等に四人の息子達武智麻呂南家、房前北家、宇合式家、麻呂京家、があり式家は薬子の乱で回復出来ず、南家、京家は人物が出ず。代わって嵯峨天皇に重んじられた、冬嗣の北家が他の三家を引き離して栄えることとなる。摂政関白たる資格の一つに、北家藤原の生まれであること、北家の優位は絶対的だった。だから大鏡が大臣列伝を書く時、すべてが北家藤原の人びとであり、北家歴代の政治家の祖から始めるならば、冬嗣からたどる何故ならば、冬嗣の娘順子が仁明天皇の后になり、生んだのが文徳天皇であります。藤原一族の権力への道がこの時にうち立てられた。第五十五代文徳天皇から、清和、陽成、光孝、宇多、醍醐、朱雀、村上、冷泉、円融、花山、一条、三条、第六十八第後一条まで、即位を巡る藤原一族の権力闘争。源氏に政権が移るのを恐れ源高明を追い落とす。娘を入内させ皇子が誕生すれば、万難を排して東宮にし、即位すれば外祖父として摂政関白となり、権力を手にする。
[大鏡の人びと]は登場人物を系図にして要所要所配してあり、大変わかりやすく読むことができます。まずは序章万寿二年のこと、物の怪の叫び、后の位、狙われる東宮位、東宮退下の条件、失意から呪いへ、男の目、歴史物語、藤原北家、大宅世継、道長賛美、人物の器量、第一章にはみやびの頃、風流貴族の嘆き、承和の変、応天門の変、伊勢物語、貴族の心、傷つかぬ心、天神の怒り、阿衛詮議、時平と道真、道真失脚、胸に打つ釘、忠平とその息たち、権力欲、護る霊、非道と背信、百鬼夜行と夢違え。第二章はもののあはれのころ上、後宮の争のい、嫉妬の種、教養の女性、権力の女性、実在の母后、物語の母后、骨肉之親増悪、兼家の不満、花山院おろし、蜻蛉日記、帝王の来る日、奇行の血、型破りの帝、くるひにおける純。第三章はもののあはれのころ下、敗者の気位、兼家の息たち、中関白家の春、中関白家のつまずき、中関白家没落す、怨霊にばれぬ者ならぬ者、勝者の備わり、後宮制覇への布石、後宮制覇進む、後宮制覇完了近し、後宮完全制覇成る、道長の人となり、道長と光源氏。終章はこころたましいのころ、新しい生き方、新しい文章。以上のように大鏡を分類しています。登場人物は全て実在しているのです。藤原氏の実力の前で政権から遠ざかって行った貴族たちが、文化人として非凡な活躍をする才能の持ち主であったことは、日本文化の幸運であったことと書いてあります。[大鏡の人びと]の目次を読むだけで大鏡がわかります。大鏡も読みましたが、語りよりこちらの方がよくわかりました。歴史物語一度は手にとって見てはいかがです。
  


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