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082:「見える」と「見えない」とを行き来する🔁を含んだ「オブジェクト」をメイクする

『現代写真アート原論 「コンテンポラリーアートとしての写真」の進化形へ』のトークのために,自分が今まで書いたテキストをメインに「写真」を考えてみる.

『現代写真アート原論』で,後藤繁雄は次のように写真について述べている.

後藤───もはやセカンドステージに進んだ写真家には,合成に対する躊躇なんて微塵もないはずです.一般の人も日常的にインスタグラムでフィルター編集を行っていますしね.ちなみにインスタグラムは2010年に登場し,2012年にはフェイスブックに買収され,現在世界の20億人が毎日使っています.だからコンセンサスはできている.あっと言う間に,写真とはテイクやシュートするものではなくて,メイクするものになったのです.否応なく再定義されている.僕は拡張した写真,ポストメディウム全体を「写真」と捉えてています.ちょっと拡張しすぎかも,ですけどね(笑).p.169

「写真とはテイクやシュートするものではなくて,メイクするものになった」という認識は興味深い.写真には「撮影」を含めた何かしらの行為が含まれれている.元々,写真は単に撮影するだけでなく,現像,プリントなどの多くの行為が含まれてきたが,一般的には「撮影」したあとの行為は「お店」がやってくれることであった.

デジタル写真になっても自分で「現像」,「プリント」している人はまれかもしれないが,この行為で行われていた加工的行為は「フィルター」で可能になっている.「加工」を自ら行うようになったという点で,写真は「メイク」するものになったと言える.

増田展大は「写真」と「オブジェクト」とを結びつけている.ここでいうオブジェクトとは「デジタル技術や情報機器によって制御可能なもの,またはその動作そのものとして理解されている」ものである.そして,「オブジェクトと(しての)写真」という項で,次のように書く.

 要するに,デジタル写真そのものも,先に明らかにした意味での「オブジェクト」の一例として検討しなくてはならないのではないか.それは確認しておけば,デジタル写真をコンピュータに格納される(あたかも,かつてのフィルムの潜像のように)と同時に,一定の処理を経て人間にとって可視化されるという,先の二層構造を備えたオブジェクトとして理解するということである.p.83
オブジェクトと写真───ポスト・インターネット再考,増田展大

写真は「制御可能なもの」「動作そのもの」として「メイク」されるものとなっている.だから,フィルターで簡単に加工できる.しかし,増田が書くように「フィルター」と見える部分の制御可能性よりも,ヒトには不可視の状態でコンピュータに格納されている状態を持つことがデジタル写真を考える上で重要となっている.

デジタル写真はヒトに不可視の部分でコンピュータによって「メイク」されている.コンピュータによって「メイク」されたオブジェクトが,ヒトに可視化されたときに「デジタル写真」という存在になる.不可視の状態にあるオブジェクトは,データとしてメモリ空間のどこかのアドレスに格納されつつ,コンピュータで処理されて,ディスプレイのピクセルに表示される.メモリのアドレスとディスプレイのピクセルにほぼ同時にオブジェクトは存在する.さらには,メモリに格納されたデータは,地球上のどこかにあるデータセンターのメモリに格納されているかもしれない.地球上の1座標に位置するデータセンターのアドレスのメモリいからパソコンやスマートフォンのアドレスに転送されたデータは,ディスプレイのXY座標が示す1ピクセルとして示され,それを地球上の1座標に位置するヒトが見る.これらの座標は瞬時に重なり合っている.「デジタル写真」を構成するオブジェクトは,デジタル以前には重なり合うことがない異なる座標が連結して存在している.

この状況について,『現代写真アート原論』と同じシリーズの『メディア・アート原論』内のキーワード「イメージ・オブジェクト」で,私は以下のように書いた.

ベンジャミン・H・ブラットンは『The Stack』で「ユーザ/インターフェイス/アドレス/都市/クラウド/地球」という6つのレイヤーが全世界を覆っていると指摘する.そして,これらの6つのレイヤーの何処かで一つの座標が決定されると,半自動的に他の5つのレイヤーでの座標も決まるとしている.ブラットンの指摘と同じように,ヴィアカントの《イメージ・オブジェクト》も,Photoshopでの処理ためにピクセルの座標がオブジェクトと空間に与えられた瞬間,イメージとオブジェクトと空間とがXYグリッドの別個の3つのレイヤーでの座標が決定され連結されていく.普段は別個の存在であるイメージ,オブジェクト,空間が連結した座標として提示されるがゆえに,《イメージ・オブジェクト》は見る者に奇妙さを与えるものになっている.《イメージ・オブジェクト》が成立する世界では,イメージとオブジェクトとは対立するものではなく,それらを包摂する空間を含んだかたちで重なり合った3つのレイヤーで同時に存在し,連結している座標の集合なのである.p.157

「見える存在」も「見えない存在」も共に座標=データとして処理されて連結している.今までは,「見える存在」をうまくデジタルで扱おうとしてきたけれど,後藤が「セカンドステージに進んだ写真家」たちは,「見える🔁見えない」の連結部分としての「インターフェイス」に意識を向けている.「インターフェイス」自体を「メイク」するわけではないが,「インターフェイス」を使って「見えない存在」として扱われたインターフェイスの「ツール」を可視化している.その結果,「見える/見えない」という二項対立ではなく,その連結部分で「見える」と「見えない」とを行き来する🔁を含んだ「オブジェクト」がメイクされる.

だから,「セカンドステージに進んだ写真家」たちは「オブジェクト」のような写真を作成する.アーティ・ヴィアカントは《イメージ・オブジェクト》でまさにイメージとオブジェクトとの行き来🔁している.そして,その先で《マテリアル・サポート》というまさに「オブジェクト」とその空間という作品が生まれている.

Installation view, Material Support, 2016/17, prints on aluminum composite panel, steel stud framing, MDF

マーク・ドルフは「TRANSPOSITION」というシリーズで,写真と石や鉢植えとを組み合わせて「オブジェクト」をつくっている.セリア・グラハム・ディクソンは次のようにドルフの作品について書いている.

ガラスに映ったイメージ,実際の木の上に印刷された木目などが,平面に彫刻的な要素を与え,コラージュや3次元的に見えるようなデジタル加工を施したイメージとも反響し合っている.ドルフがPhotoshopを用いて作った人工的なレイヤーは,一見それぞれが独立しているようにも見えるが,実際にはデジタルデータとしてガッチリと結合されている.本作はイメージの中で,葉っぱの有機的な曲線や生い茂った苔の風合いなどと人工的に作ったデジタルな形とが並置され,観る者に自然と人工物を区別しようとする「壁」を打ち壊すように促す.私たちが世界について知る時,テクノロジーが一種の仲介者として作用している.ドルフは,デジタル時代において,テクノロジーがいかにして我々と自然の間を取り持ち,理解する助けになっているのかを研究していると言えるだろう.p.42 

自然,人工物,テクノロジーが交差する現代的リアリティ セリア・グラハム・ディクソン

ここで,ディクソンが「ドルフがPhotoshopを用いて作った人工的なレイヤーは,一見それぞれが独立しているようにも見えるが,実際にはデジタルデータとしてガッチリと結合されている」と書いてる部分は特に重要だと考えられる.Photoshopのレイヤーという見えている存在は個別ではあるが,見えていないデジタルデータ上では一つのオブジェクトとしてまとめられている.デジタルオブジェクトは別個の存在として見えながら,一つの不可視のオブジェクトにまとめられており,ここをいかに可視化するというか,連結する🔁をいかにメイクするのかということが写真家の能力になっているのではないだろうか.

「見える」と「見えない」とを行き来する🔁を含んだ「オブジェクト」を,最も一般的にメイクしているのが,iPhoneのインターフェイスが可能にしたピンチインアウトによる画像の拡大縮小であろうということを,私は「「写真」という未知のオブジェクトと連動した未知の行為」というテキストに書いた.

スマートフォンという物理的フレームは,パソコンが私たちに提示した「現実空間,仮想空間,イメージの空間という三重の空間」を,手に持てるかたちでまとめ上げたひとつのオブジェクトとして切り出しているのである.そこで,私たちが触れているものは写真でも画像でもなく,スマートフォンの一部となった操作可能なオジェクトとして,ディスプレイのフレームを造作もなくはみ出していく「写真」という未知のものなのである.p.146
ジェスチャーと「写真」の連動する拡大縮小が心地よいだけではなく,自らの指で三重の空間を貫き連結しながら遂行していく未知の行為に対する好奇心から拡大縮小を繰り返しているとも言うことができる.だからこそ,私たちは見るだけでなく指で触れながら,スマートフォンの一部として存在する操作可能なオブジェクトとしての「写真」について考えていかなければならないのである.p.150

見えているのは「写真」という見慣れた存在であるが,それはスマートフォンの一部としてのオブジェクトになっている.私たちが画像の拡大縮小をするとき,私たちはスマートフォンに格納されたオブジェクトに触れている.iPhoneはピンチインアウトという行為を連結🔁の要素として,あたらしいインタラクションをつくり出して,「見える」と「見えない」とを行き来する🔁を含んだ「オブジェクト」をメイクしている.

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