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001:相似的な同一化の果てのテクスチャのプリントとしてのVR

VRについて考えているときにレーン・ウィラースレフの『ソウル・ハンターズ───シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学』を読んで,そこに「相似的な同一化」という言葉が出ていて,この言葉がVRを考える上で重要なのではないかと考えたりしていた.

もしアニミズムが「相似的な同一化」,つまり,「完全な同一化」ではなく,「部分的な同一化」(Pedersen 2001: 416)によって定義されるのであれば,ミメーシスはアニミズムを行為へと呼びかけるものである.ミメーシスは,アニミズムの象徴世界における実践的側面,つまりその世界=内=存在の不可欠な様式である.p.53 

相似的な同一化のもとで,「Aではないのではない」という状態が生まれる.VRもまた「「私の=ようで=あるが=私ではないもの」を扱うといえる.それはディスプレイに映る「私の=ようで=あるが=私ではないもの」=Bと私=Aとのあいだで行為がリフレクションし続けた結果として起こる考えられる.

行為がリフレクションした結果,AとBの互いのサーフェイスに「A らしさ」としてのテクスチャが貼り付けられる.リフレクションの果てに対象と自分のサーフェイスにテクスチャがプリントされていくとして,相似的な同一化の果てのテクスチャのプリントとしてのVRを考えてみたら,どうなるだろうか.

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