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026:履歴を喪失した単なる一枚の平坦な画像

この記事で,Joe Hamiltonの作品について考察していて,最後に次のように書いた.

ウィンドウの体験の蓄積から出てきた遠近法ではない平面の捉え方があって,その一つ,基準として一つののっぺりとした平面=サーフェイスがあって,とその奥と手前に分割されるということがあるのではないだろうか.そこでは空間は連続していない.平面の重なりとその動きによって,はじめて「空間」が生じると言った方がいいのかもしれない.映像がある形に区切られた瞬間,映像がのっぺりとした平面になって,連続した空間が消失するけれども,重なる平面の動きによって,あたらしい「空間」が生まれる.

インスタグラムと現代視覚文化論』に収められた「Photoshop以降の写真作品───「写真装置」のソフトウェアについて」で,永田康祐さんが,Joe Hamiltonの《Indirect Flights》(2015)について,次のように書いていた.

このようなデジタル画像における履歴の喪失は,例えば,ジョー・ハミルトンの《Indirect Flights》において実感することができる.ウェブブラウザ上での鑑賞を前提とするこの作品は,二つのレイヤーに航空写真や工業材料のテクスチャ,ブラシストロークといった画像が配置されることによって作られている.鑑賞者は,Googleマップような画面をスクロールすることによって,視差効果による画面の奥行きを感じながら画面の構成を見渡していく.ところが,ひとたびスクロールを止めると,この奥行きは減退し,様々な画面がタイル状に並べられたかのような平面的な図像を前にすることになる.つまり,動いている状態では前後の重なりを持っていた画像が,静止した瞬間にその奥行きを喪失するのである.この状態の推移は,私たちの感じていた重なりが,単にシミュレートされていたものであるということを明らかにしている.表示されている画面は,複数の要素の重なりでもなく,タイル状の組み合わせでもなく,単なる一枚の平坦な画像なのである.p.99(強調は水野)

最後の一文を読んで,《Indirect Flights》を体験しているときに感じていた不思議な感覚が言語化されたような気がした.画面にあるのは「単なる一枚の平坦な画像」でしかない! そして,なぜぞれが「単なる一枚の平坦な画像」になるのかと言うと,デジタル画像には物質の重なりが示すような操作の痕跡を見出すことができないからだと,永田さんは指摘している.私は《Indirect Flights》を平面の重なりを前提に考えていたが,永田さんはそれを「単なる一枚の平坦な画像」と考える.そして,その「単なる一枚の平坦な画像」は履歴を喪失している.刺激的である.

「単なる一枚の平坦な画像」に,ユーザの行為を与える,つまり,行為の履歴が与えられた瞬間,そこに前後の重なりが生じると考えると面白い.「行為の履歴」として,ヒトの行為が変形する.ヒトの身体もミニマルな身体として,「単なる一枚の平坦な画像」を提示するコンピュータに貸出される.そのとき,「シミュレートされた重なり」が生まれる.

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