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155:YOF《2D Painting [7 Objects, 3 Picture Planes]》を考え始める

YOF《2D Painting [7 Objects, 3 Picture Planes]》について考えているうちに,新型コロナウィルスの影響で,大学はオンライン授業に突入して,忙しくなった.今もその状況は変わらないけど,少しづつでも考えていきたい.

「2D Painting」は、2019年3月にシリーズ1作目を発表したもので、本作はその新作となる。
壁に切り抜かれた矩形と、その奥に配置されたいくつかのオブジェクトから成る。それらのオブジェクトには個別に照明が当てられ、ゆっくりと配色が変化する。
タイトルにある2Dとは、2つの空間(Depth)を意味している。イメージを構成しているのは三次元空間に配置されたオブジェクトでありながら、定位性を失わせる特殊な構造と色対比によって二次元的イメージ(絵画的空間)としての認識の優位性が高まる。現実の三次元空間と二次元の色彩によって喚起される絵画的空間、この2つ空間の横断を体験することになる。
http://yofyofyof.org/2020/01/21/2d-painting-7-objects-3-picture-planes/

YOFの説明で「定位性を失わせる」という言葉が気になっている.LED照明に照らされた「7つのオブジェクト」は「モノ」らしさを失っていると,私は感じからである.その感じは,「3つの絵画平面色」に現れている「7つのオブジェクト」は,モノの表面に反射した「表面色」ではなく,青空のように光が散乱してできる「面色」のように見えることからきている.

『The World Of Colour』で,現象学者のデビッド・カッツは「面色(film color)」のことを「ホームレス」な色と言っていた.また,「面色(film color)」について,画家のジョセフ・アルバースは『配色の設計」において,「フィルム・カラーとは,目と物体との間にある薄い透明または半透明なレイヤーとして見える色で,物体の表面色とは別個のものだ.p. 58」と書いている.これらのことから,YOFの「定位性を失わせる」という言葉と合わせて考えてみると,彼らはLED照明を精密にコントロールすることで,色を「ホーム」であるモノから引き離して,照明の空間に引き離して「目と物体との間にある薄い透明または半透明なレイヤー」=「3つの絵画平面色」に置いたと考えることができるのではないだろうか.

YOFは「ヴァルール」の研究を続けてきた.

2013年より続けてきた《Valeur(ヴァルール)》シリーズは、イメージをピクセルの集合体として捉え、それらが視感覚に与える力の感覚量を定量化するためのプロジェクトである。
まず前提として、デジタルメディアにおいて全てのイメージはピクセルという単位で表現することができる。画面上にあるすべてのピクセルは「色」と「位置」という固有値を保持しており、全体の関係性の中で相互的な力を持っている。1つのピクセルの変化が与える影響は微々たるものだが、それらの集合が次第に大きな力を持つことで全体の印象を形成していく。我々は、その力の正体であるヴァルール(色価)こそがイメージを構成する上で最も重要な要素であると考えており、また独自のアルゴリズムによって定量化する事を可能とした。
http://yofyofyof.org/statement/

ピクセル単位で色の相互関係を評価してきたYOFは,その技法をLED照明とオブジェクトの構成とを組み合わせて,画面のそとに引っ張り出してきた.それが《2D Painting 》シリーズなのではないだろうか.

コンピュータでのシミュレーションを光の精細な制御で物理空間に引っ張り出してくるというところで,私は映画「ゼロ・グラビティ」の制作陣が考案したライトボックスという装置を思い出した.

ライトボックスの内部は196枚のパネルでできており,パネル1枚のサイズは60センチ四方で,4,096個のLED電球がはめ込まれ,必要に応じてどんな光や色でも投射でき,どんな速さでもそれを変更することが可能になった.
ウェバーはこう説明する.「ライトボックスのすばらしい点は,ほかの方法では物理的な不可能な形で照明の調整ができるようになっただけでなく,色と質感の両方に微妙な変化をつけることができ,照明自体にものすごい複雑さを加えることを可能にしてくれたことだ」
PRODUCTION NOTES,ゼロ・グラビティ パンフレット

照明は照らし出すモノに「色と質感」を与える.だから,コンピュータでシミュレーションされた映像の色と質感とを,コンピュータの外に位置するモノにコピーすることができる.コンピュータのシミュレーション結果は,情報としてディスプレイに伝わり,ピクセルが放つ光として出力される.この光をできるだけ「ニュートラル」なモノに反射させると,シミュレーションされた色と質感に忠実な光として反射されてくる.そのとき,その光はモノからの反射である「表面色」でありながら,光そのものがつくる色=面色に近い性質になっているのではないだろうか.

ピクセル単位で画面全体の色の相互作用を評価しようとしてきたYOFであれば,物理的オブジェクトもまたピクセルで考えることもできるのではないだろうか.アルバースは『配色の設計』の「等しい光の強さ──境界の消失」という項で「この効果が知覚されることはほとんどないのだが,特定の配色によって,色と色のはっきりした境目をほとんど見えないようにしたり,事実上気づかれないようにすることができるのだ(p. 75)」と書いている.そして,等しい強さの光のなか境界を消失させるために必要なこととして,次のように書いている.

この刺激的な──そしてデリケートな色彩効果をつくり出すには,邪魔になるような紙の作用(たとえば風合いなど)や貼り合わせによる不具合(目立つエッジや糊の跡)などを一切避けるよう気をつける必要がある.p. 76

具体的には,紙は薄ければ薄いほど良いということである.この「紙は薄ければ薄いほど良い」ということを突き詰めていけば,最終的にはモノが消失して,色情報と位置情報とに基づいたピクセルに行き着くのではないだろうか.現時点では,ピクセルは「色情報と位置情報」とを具現化する最も「薄い」モノの単位となっていると考えみたらどうだろうか.そして,このピクセルから色の相互作用を考えるYOFの試みは,物理的オブジェクトをモノたらしめている表面色を排除するトリックをつくりだし,面色にすることなのではないだろうか.


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