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045:【新版】UI GRAPHICS 成功事例と思想から学ぶ、これからのインターフェイスデザインとUX

【新版】UI GRAPHICS 成功事例と思想から学ぶ、これからのインターフェイスデザインとUX に「思考とジェスチャーとのあいだの微細なインタラクションがマインドをつくる」というテキストを寄稿しました.また,2015年版から「メタファー、ボタン、テクスチャ、色面、ピクセル」と「GUI の歴史:インターフェイスは常に身体の中にあった…」の二つのテキストが再録されています.

書き下ろしの目次
・Apple が目指す「流れるインターフェイス」 | 安藤剛
・思考とジェスチャーとのあいだの微細なインタラクションがマインドをつくる | 水野勝仁
・個人的なインタラクション | 萩原俊矢
・ユーザーのウェルビーイングのためのUI/UX | ドミニク・チェン
・導線としての制約を作る | 菅俊一
・動きとUI デザイン | 鹿野護
・話法について | 有馬トモユキ
・UI の外在化とメタハードウェア | 渡邊恵太
・世界観への期待を創るUI デザインとエクスペリエンサビリティを向上するUX | 須齋佑紀/津﨑将氏

目次を見ると気になる著者名とタイトルがずらりと並んでいて,私自身もこれらから読むのが楽しみです😊

今回,私が書くことになったテキストの最初の構想を編集の庄野祐輔さんに送ったメールの一部をここに置いておきます.

最後に書いている「「マインド」を変えることは,世界の捉え方,世界そのものを変えていくことなのだと,私は考えています」ということが「インターフェイス」を基点にしてヒトと世界とのあいだで起きているのではないかと思いつつ,私はnoteを書き続けています.
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インターフェイスの移り変わりは本当にはやいですね.

現在,インターフェイスで興味があるのは,周回遅れの感じがありますが,Apple Pencilで書くことです.正確に言うと,Apple Pencilでいくら書いても,そこにあるのはiPad Proの一枚のディスプレイということでしょうか.私は何を一体書いているのだろうということです.

でも,これだと今回の趣旨に合わないなと思っていたところで,今回のWWDC18でAppleが「Designing Fuild Interfaces」という発表しました.そのなかに「A tool that feels like an extension of your mind」という言葉があって,さらに「Interface that extend our minds」とありました.これ見たときに,もう「extension of your body」ではないのだなと思いました.マクルーハンの「内爆発」ともちがうことが起こっている.しかも,この発表は「指」しか出てこない.

前回の「GUIの歴史」の最後にこのように書きました.
しかし,スキューモーフィズムは「ディスプレイの世界は現実とは異なるものだ」ということを明らかにしてしまった.グラフィックがいかにリッチになろうともそれはピクセルの光であり,指が触れるのガラスでしかないのである.スキューモーフィズムの急進性が現実と切り離された「フラットデザイン」という反動を産んだといえる.フラットデザインは,スケッチパッドからはじまり,マウス,デスクトップメタファー,そしてスキューモーフィズムへと続く身体に基づくインターフェイスの流れを一度切断して,身体とは関係ないディスプレイのピクセルという光からインターフェイスを構築しようとする全くあたらしい試みである.ここではもう「私たちがデザインしようとしているインターフェイスはすでに身体の中にあるのだ」とは言えない.私たちはインターフェイスデザインのあたらしい局面を迎えているのである.
インターフェイスは身体を参照にしていたけれど,それはとっくの昔に身体から抜け出て,私たちの「マインド」に沿うインターフェイスになっているということが,「Designing Fuild Interfaces」を起点に書けたらいいかなと考えました.どうでしょうか?

「「Redirectable UI」という考え方」というnoteの記事にこれに関連したことが書かれています.このテキストはデザイン寄りですが,私はこれまでのようにヒトとコンピュータとの歴史のなかでの「Interface that extend our minds」ということを考えたいと思っています.「マインド」を変えることは,世界の捉え方,世界そのものを変えていくことなのだと,私は考えています.

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