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003:主観的で実験的な地としての没入的仮想空間

Char Davies《Osmose》 (1995) について調べた。このVR作品は、重心と呼吸がインターフェイスになっている。作家がスキューバダイビングの体験からヒントを得た呼吸に基づくインターフェイスは作品に「没入感」を与えている。呼吸という私たちが半ば制御できないもので、常に行っている行為をインターフェイスとして使うことで、リアル世界とディスプレイに展開するVR世界とがつながる。

ということが書きたいわけではなくて、呼吸と重心とをつかうことで、モノの世界から空間に囲まれる世界へと変化するというようなことを、Daviesが書いていて、そこが興味深いと思ったのであった。 

Immersive virtual space as subjective experimental ground
主観的で実験的な地としての没入的仮想空間

Davies, Char. "Osmose: Notes on Being in Immersive Virtual Space (1995)." Digital Creativity. Colin Beardon, Lone Malmborg and Masoud Yazdani, eds. Lisse, The Netherlands: Swets & Zeitlinger Vol. 9 (2) (1998), pp. 65-74, illus.

仮想空間がこのように言われるとき、空間と主観とが混じり合う感じになる。主観を構成する空間というわけではなく、そこで実験ができる操作可能なものとしての空間がここに現れる。それは、重心と呼吸という身体行為と連動している。身体がモノと連動するように、空間が身体と連動する。そのためにセンシングされるのが、重心と呼吸という普段、私たちがあまり意識しない身体行為というのが興味深い。

呼吸と重心によるインタラクションによって、モノが空間にまで拡張する、もしくは、空間がモノのようになっていく。その結果として、空間をモノのように意識するようになっているのではないだろうか。

ここから反転して、ゼログラビティでライトボックスに囲まれたヒトについて考えてみたい。ここではリアル空間のほぼすべてを操作可能なものにするために、ヒトはコンピュータ制御の台に乗せられ、カメラはロボットアームで操作され、光はLEDパネルでつくられたライトボックスで制御されている。VRの空間のモノ化を、物理世界でできるかぎり再現しようとする。そのとき、ヒトの呼吸は考慮されていない。

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