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227:情報としては存在しないが,モノとしては存在する

LEESAYAで開催されているヌケメの個展「Don't Be Evil」を見て,グリッチ刺繍で色違いのキャラクターを見たときに衝撃を受けた.「衝撃」と言っても,これから書くことは,刺繍の色は「糸」が決めるという当たり前のことになる.

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グリッチ具合が異なる4人のチャーリー・ブラウンがキャンバスに刺繍されていて,それぞれ色が異なる.これを見ているときに,同じキャラクターなのに色が異なるという点に,これまでのグリッチ刺繍とは異なる感じを受けた.ヌケメのグリッチ刺繍は,企業のロゴ,絵文字,キャラクターのかたちを変化させるが,色はオリジナルのものに合わせていた.だから,グリッチ刺繍は「形」の崩れを楽しんでいて,「色」について意識することはなかった.だが,今回の作品においては,同一のデータがグリッチされて,形も色も異なる4人のチャーリー・ブラウンを生み出しているので,私は色に意識を持っていかれた.

ヌケメ本人に「色」について聞いたら,「刺繍データは針の運びの情報のみで,色を情報をとして持たないので,刺繍糸の色を変えています」と教えてくれた.ヌケメにとっては当たり前のようだった.しかし,私にとっては「衝撃」であった.物理世界では,目の前にあるモノは色と形とがセットであり,その組み合わせは簡単には変更できない.青色のコーヒーカップは,大体割れるまで青いコーヒーカップとして存在する.それは赤などに塗り直すのがとても面倒だからだ.しかし,これをスキャンなりして,デジタルデータにすると,青いコーヒーカップを赤いコーヒーカップに変えることは簡単にできる.だが,デジタルデータでもキャラクターやロゴでは色は指定されて,ほとんど変更されなくなる.

物理世界では物理法則に基づいて色と形は変更が難しくなり,デジタルデータではルールに基づいて色と形を変更されないようする.ヌケメのグリッチ刺繍においても,これまでは形は壊したが,色と形の組み合わせは保ってきた.しかし,《Catch Me If You Can》 (2022)において,色と形の組み合わせが崩される.黒い輪郭線を持つトムとジェリーを黒い生地に刺繍すると輪郭線が消えてしまう.そこで,ヌケメは輪郭線だけでなく,キャラクターの塗りの色も変えてしまった.

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そして,今回のグリッチの崩れと色とがそれぞれ異なる4人のチャーリー・ブラウンが並んだキャンバスの作品が生まれる.同じキャラクターが淡々と並ぶことで,形と色とのちがいが際立つものになっていて,グリッチ刺繍における色と形を改めて考えさせるような気がする.ヌケメは服とキャンバスではロゴやキャラクターの配置に対しての意識が変化すると言っていたので,「キャンバス」作品をつくらなければ,4人のチャーリー・ブラウンが並ぶことはなかったのかもしれない.だとすれば,「キャンバス」というメディウムが「グリッチ刺繍」という手法への意識を強めているとも考えられる.

グリッチ刺繍をつくるためにはまず画像データをグリッチする.画像データは座標データと色情報の組み合わせしかなく,そこには「チャーリー・ブラウン」という形のデータは存在しない.この画像データをグリッチすると,「チャーリー・ブラウン」という形を崩す座標データと色情報の組み合わせの集合が生じる.この座標データと色情報の組み合わせの集合を刺繍データに変換すると,色情報がなくなり,針の運びのデータができる.刺繍を行う際に,なくなった色情報にあった糸をミシンに装着すれば,元の画像をグリッチした形と色の刺繍が出来上がる.最後の段階で,形はデータで色はモノでそれぞれ決定され,それらがグリッチ刺繍として結びついている.ということは,情報としては存在していない色が刺繍というモノの段階で突如現れるということが,私にとって「衝撃」をもたらしたと言える.

いや,それが色違いの4人のチャーリー・ブラウンが並ぶことではじめて,私の中で画像における色と形の関係と刺繍における色と形,さらにはモノと情報という関係が一気に絡み合って,解けていったことで「衝撃」が生まれたのである.刺繍データは色情報を持たないために,糸というモノでしか色を決定できない.このことは情報としては存在しなくても,モノとしては色を持たざるを得ないという状況をつくる.情報としては存在しないが,モノとしては存在する.このことを,グリッチされた4人のチャーリー・ブラウンは鮮明に示している.


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