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230:エキソニモ《On Memory》の[ ]

WAINTINGROOMで,エキソニモ《On Memory》を見る.撮影は禁止されている.メモは禁止されていないが,作品の意図を考えると,展示会場でメモを取るのはやめようと思う.記憶だけを頼りにレビューを書いてみる.

作品を思い出そうとすると,展示全景が見えてくる.WAINTINGROOMでの展示で,確かに私が会場の奥から7つのオブジェクトを見ている感じを思い出すだが,どうしても私が見ている風景は名古屋で長いこと働いていたギャラリーがWebサイトに載せていた全景画像と混じってしまう.混じるといっても,雰囲気が重なり合うという感じだけで,もっと思い出そうとすると,WAINTINGROOMの空間,会場導入部の細い入口が見えてくる.

ギャラリーの白い壁に,鉛筆で英文が書かれている.ギャラリースタッフからもらった日英併記のハンドアウトで確認しがら文字を読んでいく.最初の方に「起動音」とあって,確か「鼓動」ともあったような気がする.英語も日本語も文章全体は思い出せないが,単語は思い出せる.壁に書かれた英文を読んでいくと,最初のオブジェクトを見ることになる.記憶で書くと,文字列を目で追っていった先にオブジェクトが現れるようになるし,実際のそのように思い出しているけれど,体験としては文字列を見ているときにオブジェクトは視界に入っている.この状態を,私は言葉で書くことができない.また,レビューを書こうと思って,何度も作品体験を思い出して,どう書こうか考えているうちに,記憶で展開される私の視界はとても狭くなっていて,文字列にスポットライトを当てるように,作品を思い出すようになっている.

最初のオブジェクトにはマウス🖱️が入れられている.7つオブジェクトは全て同じフォーマットで,確か,厚みのある黒い木枠に曇りガラスははめられていている.中央部には比較的小さいディスプレイがあって,テキストボックスのなかに英文が打ち込まれていて,アイビームが点滅している.このアイビームの点滅がエキソニモらしいと思った.何が起こっている,何かが起こるかもしれませんよという,時間的な余白のようなものを感じせる.そして,ディスプレイの奥のレイヤーに,最初のオブジェクトにはマウスが整然と並べられている.曇りガラスではっきりとは見えないが,マウスだとはわかる.マウスが入れられたオブジェクトのディスプレイが表示する文字列の全ては思い出せないが,「have to say OK」と打ち込まれていたと思う.私は何度,マウスで「OK」をクリックしたかなと考えたから,覚えていると思う.オブジェクト直前の英文に「鼓動」とあって,とは言っても,英語は忘れてしまった,オブジェクトのなかで赤い光が明滅していて,ここでもエキソニモらしいな思いつつ,英語の文字列とオブジェクトとが一つの流れをつくって,私の意識内に,視界に展開される見えている世界とは異なる意味の世界を構築する流れが現れているのを感じていた.

「エキソニモらしい」と2度ほど書いたけれど,私にとっての「エキソニモらしさ」とは「作品が否応なしに意識に入り込んでくる感じ」だと思う.《On memory》では壁に書かれた文字,ディスプレイに入力された文字の列が意識に否応なく入り込んで意味の世界を立ち上げてしまう.文字列による「鮮明な」世界に対して,オブジェクトに入れられたマウスやケーブル,写真などは曇りガラスによってぼやけている.曇りガラスが記憶という存在の曖昧な,何か見えそうで見えない,掴めそうで掴めない感じ,でも,確かにそこにはあるという感じをつくっているように感じた.

曇りガラスの向こうにあっても,テキストボックスとそこに入力された文字,明滅し続けるアイビームははっきりと見える.テキストボックスと背景からなるWEBページのHTMLはイーサリウムのブロックチェーンに保存されている.電力が続く限り,記録されたHTMLの文字列は,アクセスがあれば空白のテキストボックスをディスプレイに提示して,適切な文字列の入力を待ちながら,アイビームを明滅させ続ける.作品を見たあとで,作品を考えているときに,空白のテキストボックスが残り続けるということ強烈な印象を抱いた.空白が残る.そこに入力される文字列が忘れ去れてしまったとしても,テキストを入力するための空白は残り続け,アイビームは明滅を続ける.ここには途方ない時間の流れというか厚みを感じた.そのような状態になったとき,私が今感じているような時の流れを,何か他の存在に示すのは,[       ]のなかで明滅するアイビームだけなのかもしれない.

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