002:ある時,ある場所で,乱反射が整序されて

エクリでの連載で「インターフェイス」を考えているときに,私たちが「インターフェイス」と呼んでいるものは,もはや二つの主体の対話の場,界面ではないような感じがして「サーフェイス」という単体で成立する言葉を使った.サーフェイスは単体でありながら,多数のサーフェイスと向かい合って,そのあいだを行為がリフレクションしているのではないかと考えた.

それから『ソウル・ハンターズ』のウィラースレフのミメーシス論を読んで,「相似的な同一化」の際に行為や意識の乱反射とでも言える状態が生じることを知った.というか,そのようにウィラースレフのミメーシス論を解釈したわけです.僕たちは単体ではあるけれど,互いに行為や意識を反射しあっている.乱反射しているから,そこでの行為や意識は互いに跳ね返ってこないものもあるけれど,ある時,ある場所で,乱反射が整序されて,互いが,私ではないわけではない状態で向かい合う.そして,それらが一番起こっているのがディスプレイというサーフェイスなのではないか.

そんなことを考えていたら,ディスプレイを一つのサーフェイスとして,その手前の空間をモノのように考えることもできるのではないかと思えてきた.行為や意識がリフレクションしているそのあいだをサーフェイスから続くモノの内部としてのバルクとして考えると,面白いのではないかと思っているのですが,それは,空間をモノのように考えることであって,それを実現するのがソフトウェアという「接着剤」なのかもしれない.行為や意識を空間にくっつけるソフトウェア.ディスプレイのサーフェイスから続くバルクとして,ディスプレイ手前の空間を考えみる.そんなことを,MASSAGEの連載で書きました.


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