見出し画像

対人恐怖症

私は過去に対人恐怖症になったことがあり、最近それが再発しているなと思っている。
ただ、再発した今回は最初の時より慣れている。たぶん、うまくごまかして生きていけると思う。

最初に対人恐怖症になった時はひどかった。
精神疾患というのは、どんな時でもなる可能性があるものだと思う。どういう意味かというと、私が最初に対人恐怖症になった時は人生が割とうまくいっている時でした。

会社では出世ができていて、仕事も順調に進んでいた。恋人はいませんでしたが、仕事で成果が出ていたので恋愛もいつかうまくいくと思っていた。そんな時に私は対人恐怖症になりました。
とにかく人に会うのが怖かった。知っている人にも知らない人にも会うのが怖かった。
毎朝、人に会うことに恐怖して震える自分の体を強く叩いて朝食を済ませて、会社に入る前にも似たようなことをして建物に入っていた。当時は実家暮らしだったので、朝起きた時から怖かった。心が休まる時間が少なかったので、誰もいない空き地でぼーっと過ごしていた時間があったのを覚えている。

対人恐怖症はいつの間にか克服していた。原因は私が性格的に人の頼みを断れないことにあったと思う。
そもそも断る気がなくて「頼まれたことで役に立てるなら何でもしたい」という性格だ。断りたいという気持ちがそもそもない。ただ、そういう性格だと知ってか知らずか、「面倒なことは全部こいつに頼めばいい」というのが見え見えな人がいる。そういう人の頼みごとを聞き続けている間に心がすり減ったのだと思う。

私は、自分の心の健康状態に疎いと思う。取り返しがつかないところまで疲弊して、初めて気が付くことが多かった。他人の変化に良く気付く割に、自分の感情には鈍感だ。


対人恐怖症とは違うのですが、自殺未遂をするほど悩んでいた頃にはきれいな女性を見るのが辛い時期があった。
「あんなにきれいな人だから、きっとたくさん恋愛しているのだろう」「私はたぶんあんな人には相手にもされないのだろう」と恋愛に悩んで生きてきた私はずっとそんなことを思っていた。
カップルを見ても当然同じようなことを思う。外に出れたものではない。

そんな精神状態は割と長かったと思う。未だに少し苦しい思いはするが、苦しいという気持ちになれた自分がいる。今はそこまで強く思うことはない。


対人恐怖症にも恋愛に対するコンプレックスにも鈍感になった。
そういえば、以前書店で『鈍感力』というタイトルの本を見たことがある。生きていく中で鈍感であることは必要なことだと思う。でも、その反面で私の今の鈍感さは「諦め」であると思う。
これはいいことなんだろうか、悪いことなんだろうか。そんなことを思う今日この頃。

まぁ、そんなことを気にせず図太く生きたらいいなとも思っている。
恋愛にコンプレックスがあるなら、他のことで改めて自信が持てる自分になることを目標に頑張ろうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?