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認むる日記

ラジオで聞いた

「認むる」

という言葉。

マ行下二段活用の動詞「認む」の終止形。
「認む」の口語形としては、マ行下一段活用の動詞「認める」が対応する。
「認むる」は文語から口語に変わる過渡期の表現です。したがって、口語文法では「誤り」となりますが、方言や老人語として考えれば「誤り」とは言い切れないのです。口語の「認める」はマ行下一段活用の動詞(他動詞)で、終止形と連体形が「認める」です。そして、口語の下一段活用動詞は、文語ではすべて下二段活用動詞であることをお伝えしなければなりません。つまり、文語文法では「認む」が終止形で、「認むる」は連体形なのです。しかしながら、「認むる」を終止形とする解釈を「誤り」とするわけにもいきません。明治維新から太平洋戦争後のしばらくの間(80年間ほど)は、文語から口語へと切り替わる期間であり、文法上混在した時期でもあります。
「認むる」は文語文法と口語文法が混同した表現であり、決して「誤り」とは言い切れないものの、方言として残っているか、もしくはお年寄りが話すことばなのです。

意味とは違った趣で、語感がすごく素敵だなと思った言葉。みとむる。

方言の作用

最近日本語の方言を聞くと反射的に涙が出そうになる。

全く自分とは関係ない九州の方言でさえも、そうなることに気が付いて驚く。お年寄りが話す日本語が、自分のルーツの何かに触れてぐっとくるのか、それとも失われていく地方の言葉が自分のルーツが消えていくような気がして涙が出るのか。

自分の故郷は私が日本を出た頃からすっかり変わってしまっていて、脳内にある故郷のイメージの片割れを合わせるには、その時代に出会った人たちと昔話をするしか方法がない。もうどこにもない、だけどかつて確かにあった脳内イメージをすり合わせる作業は楽しくて、切ない。

もし自分が老いたら、そんな話ができる人もいなくなり、自分の故郷の風景は思い出の中にだけあることになる。脳内で真偽を疑うのだろうか。

子供の頃、涙もろい母親を見てなんですぐに泣くんだろうと思っていたものだが、自分も今、全く同じになっている。

涙もろくないオトナはいるのでしょうか。純粋な疑問。

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