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自分らしさってなんだろ。

昔からふとした瞬間に頭の中をふわっと通る、この疑問。

人に会うことが怖かった中学・高校時代、「とにかく資格を取らないと」と必死になってた専門学生次代、推しがいるから生きていける今。

辛いことや楽しいこと、出会いと別れを経験して、こう書くとありきたりだけど、ゆっくりと人生をテクテク歩いている。

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実は去年の冬、独り身になった。離れた原因としては色々あって、もう無理だって思ってしまった。

最後に話す時が上手くいかなくて、ただお互いに不快な思いになって、本当に伝えたかったことが言えなくて、相手からの最後の一言に悔しさを覚えた。

家に帰ってから無茶苦茶泣いたけど、離れて寂しいってよりは「なんでこんなこと言われなきゃいけないんだよ」って悔しさからだった。

自分なりに考えて出した答えだから後悔はしてない。むしろスッキリしている、ほっとしている。

この答えを出すまで、周りの人に話したり、スマホのメモに書き出したり、実際に自分の口で言ってみたり、色々やってみた。正直しんどかったし、泣いた。

改めて思うのは、自分の言いたいこと全然言えなかった、相手の考えてることが分からなかった、本当に好きなのかなこの人は?という疑問。

こんな書き方したら酷いやつだけど、ほんとは信頼できてなかったのに「こんな私でも」と理由をつけていたから、最後まで違和感が残っていたんだ。

推しを見ている方が、ぬいぐるみ達をもふもふしている方が、職場の人や専門学校の先生と話してる方が、リラックスできていた。

最後まで出来なくて避けていたのは話し合いだった。こんなこと、相手が知ったら更に怒られそうだけど、いいや。ほんとだし。

私がまだ未熟で向こうが大人だったから、こういう結果になった。

1人でも生きていけると言ったら否定されたけど、一緒にいて傷が絶えない辛さに比べたら、ずっと良い。

現実から逃げたのかもしれない、考え方がガキなのかもしれない、今書いている事はあり得ないことなのかもしれない。分かってもらえないかもしれないけど、今はかなり楽になって自由を感じている。

人生の目標は「人並みの生活をして、孤独死しないこと」なので、いつかは誰かとお付き合いしたいとは思うけど、しばらくは1人がいいなって思っている。数年経てば考えも変わって、出会いを求めるかもしれないし、どうなるかは分からない。

ただ思うことがあって、周りへの優しさって、いつか自分に返ってくる。良い事悪い事ひっくるめて、自分がやった事はいつか必ず返ってくる。その考えを曲げるつもりはないし、それで良い、それが良い。

だから今年の抱負として、周りの人達を大切に過ごしたい。そして自分の健康とお洒落に気遣って、「今の自分って最高」って堂々と言ってやる。

欲があるのかないのか、よく分からんけども、スッと自然に思い付いたことだから良しとしよう。

相変わらずこんな調子で書いているnoteですが、スキや読んでくださる方がいて、他の方のnote読んでてもやっぱ面白いし、色々と考えさせられるし、やっぱ離れられないんだなと実感しています。

今年は年女で久しぶりに神社さんへお参りに行けたので、良い年になると信じてテクテク歩きましょ。