これでいい

僕にも遠い昔、お付き合いをしていた女性がいた。彼女は明るく前向きで、誰からも好かれるようなタイプだった。そんな彼女が僕によくこう言った。

「〜でいい」じゃなくて、「〜がいい」と言って欲しい。

例えばご飯のメニューを決める時。僕はだいたい「オムライスでいいんじゃないかな」というような言い方をしていた。彼女はその度に「オムライス“が”いいんだね」と僕の方を見て返事をする。

そんなところが僕は好きだったし、その姿勢を見習うべきだとも思った。だからできるだけ「が」を使って話すようになっていった。

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でも僕はここ最近、「〜でいい」という生き方を望むようになってきた。僕にとって、それぐらいの力加減がやはり丁度いいと感じるから。

こだわりがあること。譲れない何かがあること。それは生きる上で欠かせない大切なこと。人生の軸になるものだから。だけど、こだわりを持ちすぎて軸だらけになるのはとても辛いし、本当はそこまで大切じゃないのに無理やり軸を立てるのもまた辛い。

特に仕事。誰しもが「好きなことを仕事に」と願う。僕もそれを願ってずっと生きてきたし、これを書いている今も思っている。

でも、それに縛られて辛くなってしまうこともある。それがなかなか実現しなかったり、途中でうまくいかなくなってしまったりする。今はまだ、全員が好きなことをして生きていけるような寛大な世界でもないのだ。

「この先、どう生きていきたいか。」それは大きな課題である。でも、僕らは今を生きている。今、幸せなのか?未来の理想を描くために、今を犠牲にしていないだろうか?

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11月19日はアダム・ドライバーの誕生日だということで、今朝は『パターソン』を観直していた。パターソンも「これでいい」というような生き方をしているように思う。

妻ローラより少し早く起き、バスの運転手として同じコースを走る。夜は決まった時間に犬の散歩へ出かけ、帰りがけにバーでビールを飲み自宅へ戻る。そして、少し前にベッドに入っているローラの横で眠りにつく。

彼は詩が好きで、彼自身も詩を書いている。ただ、それを発表することはない。ローラはその才能を評価し発表することを勧めているが、彼はあくまでも「自分のもの」として詩を大切にしている。

おそらく誰しもローラと同じく、詩を発表して詩人として成功することを願うだろう。「好きなことで生きる。それが最高の人生だから。」と。

でも彼はそれを望んでいない。ただ仕事を淡々をこなし、ランチタイムなど空いた時間に詩を書き、夜のビールを楽しむ毎日。

彼にとって何より大切なのは「ローラと過ごす日常が続いていく」ということなのだと思う。おそらく彼が唯一「〜がいい」と願っていることだ。

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好きなことを仕事にして生きるのは素晴らしい。映画の後でパターソンは「やはり詩で生きていきたい」という気持ちになるのかもしれない。だけれど、それだけが幸せの条件ではないはず。

僕はできるだけ「これでいい」という姿勢でこの先を生きてみようと思う。矛盾しているが、「これでいい、がいい」だ。

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