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村上タクタさんに聞く「豪快な趣味」の話(01)

今回から対談の新シリーズが始まる。

お相手は、編集者・ライターの村上タクタさん。「Thundervolt」というウェブ媒体の編集長であり、ライターとして色々なメディアにも寄稿している。

・「Thundervolt」。アップルやITガジェットのファンにはお馴染みのサイトの1つ。

・村上タクタさん X(旧Twitter)
https://twitter.com/Takuta

西田とはアップル関係を中心に、もうずいぶん長くご一緒することも多く、普段から仲良くさせていただいている。

で、タクタさん。ずっとテック媒体畑かというとそうではない。バイクからラジコン、熱帯魚と色々な「趣味の世界」で雑誌を作ってきた方である。

「趣味雑誌ね。ふーん」って思った方。甘い。タクタさんと雑談中、過去の趣味雑誌の話を伺うと、これが超面白いのだ。趣味とはいかに広大で濃い世界であることか。

今回から、幅広い趣味の世界はどう成立しているのか、そしてそこで「豪快さん」がどんな風に趣味を楽しんでいるのか、その辺を雑誌編集者の目線で聞いてみることにした。(全6回予定)

なお、対談初回については無料で全文が読めます。2回目からは購読(メンバーシップ版の有料登録)もしくは単品購入をお願いいたします。


■「みんな編集部から帰らない」雑誌全盛期

西田:はい。じゃあ、すいません。よろしくお願いします。

村上:よろしくお願いします。

西田:僕が付き合いのある編集の方って、ジョブのスタートが大体ITなわけですよ。もしくは新聞からとか。一般週刊誌から趣味雑誌、他のジャンルの趣味雑誌からITにきた方って実は意外と少なくて。

で、その辺についてなんでも聞ける人って逆に言うとタクタさんぐらいしかいない。

村上:車雑誌とかだと、いなくはなさそうですけどね。

西田:そうですね、車雑誌とかならいなくもないかもしれない。

なんていうか、「外から」という表現が正しいのかわかんないけど、IT以外の雑誌からITの雑誌に入ってきた人が見てるITの、趣味雑誌としてのITというものの違い、みたいなのも1回聞いてみたかったんです。

またそもそも、いわゆるガチの趣味雑誌を読んでる人たちとか、そこを作ってる人たちってどんな感じだったんだろう?というのをあらためて聞いてみたいなと思って。

実はその趣味の世界に入ってる人じゃないと全然知らなかったりすることなので。

そんなな流れで話を伺えるといいかな、というのが今回の趣旨でございます。

村上:ということは、これを読んでらっしゃる方は僕のことをご存じないかもしれないので、簡単に自己紹介を。

西田:はい、ぜひぜひお願いします。

村上:今、『ThunderVolt(サンダーボルト)』というWebメディアの編集長をやりつつ、半分はフリーランスみたいな形で、テック系っぽい、ガジェット系っぽい仕事をしてます。

でももともとは、30年ぐらい前に『RIDERS CLUB(ライダースクラブ)』というバイク雑誌(枻出版社刊)に入ったんですね。

西田:最初はバイク雑誌だったんですね。

村上:そうなんです。実はその前に一瞬、1年間だけ関西で株式会社クレオという、「筆まめ」を作ってる会社で――

西田:あ、「筆まめ」のクレオ。

村上:そうそう。あそこに1年入社したんですけど、突然辞めて、バイク雑誌に行って。

大学の時からオートバイが好きだったんですけど、バイク雑誌に行って。行ったらいろんな世界中のオートバイに乗れるみたいだとか思って、いきなり東京に出てきて、『RIDERS CLUB』という雑誌に「入れてくれって」言って入ったんです。

西田:はいはいはい。

村上:『RIDERS CLUB』というのは、車の雑誌で言うと『CAR GRAPHIC(カーグラフィック)』みたいな、いわゆるクオリティペーパーというか。写真もバチバチに大きいスタジオできっちり撮って、という雑誌。

元世界グランプリライダーの人が編集長で、その人が論理的にオートバイを解析するという。編集部員もそれを見習って、その人にいろいろ教えを乞いながら、「オートバイってのはこういう仕組みで、こういうふうに動くんだよ」ということを書くと同時に、サーキットでも走行会のイベントをして、ある意味、その元グランプリライダーの編集長が、乗り方とかをレクチャーする。

でも「レースを目指せ」ではなく。レースを目指す人はどんどんレースを目指すんで、レースを目指すんじゃなくて、趣味として楽しく走る技術を身につけましょう、という雑誌だったんです。

西田:なるほど。だからまさに『カーグラ』な感じだったわけですね。

村上:そうです。

僕はそこにもう憧れて憧れて。大学の時から読んでたんで、憧れてそこへ入ってみたらすごく大変なとこだった、いう話なんですけど(苦笑)

西田:大変なことってどういうことですか?

村上:昔の雑誌屋さんですね。

撮影も大変だし、原稿も大変だし、締め切りも大変だし。今は枻出版さんがなくなっちゃったから言えるけど、わりとブラックな職場だったんで。

西田:ああー、なるほど。

村上:もう徹夜は当たり前。家を出てから1週間会社にいた、みたいなこともあるような。

西田:そうですね。昔のPC雑誌もそうでしたけど、昔の雑誌ってなんでみんなあんなに家帰んなかったんですかね。

村上:帰れなかったんですよ。印刷所が朝に取りに来るんで、それまでに原稿書かなきゃいけないとか。

西田:確かにね。僕もPC雑誌から始まってますけど、写真も確かに1日かけて何十機種とか撮ってた記憶があるんで。

PCとバイクでは撮り方が違うし、おそらくバイクのほうがよりクオリティの高い撮り方してるから時間もかかってたりしてるんだろうと思うんですけど、PCでさえ大変だった記憶があるんで。あの頃はとにかく時間かけてましたよね。

村上:現像しなきゃいけないし、フィルムだし。

オートバイの場合はあんまりなかったですけど、ちょっと小物、時計とかを撮ると、なんかホコリがついてるから再撮、みたいなことってあったじゃないですか。今みたいにPhotoshopでピピッて消せないから。

西田:ああー、はい、はい。

村上:で、そんな大変なオートバイ雑誌をやってたんですけど、ある日突然バイク雑誌を離れて、ラジコン飛行機の本を作ってくれという話になりました。――枻出版社ってのは『RIDERS CLUB』から始まったんですけど、自転車雑誌とウィンドサーフィンの本がくっついて。当時バブル景気の中、その雑誌はあんまり経営的に良くなかったんで、同じオーナーがお金出してた自転車雑誌とウィンドサーフィンの本がくっついて、それで世田谷に会社を引っ越したんですね。それまで渋谷や代官山にあって家賃が高かったので。

で、合体して、経営リソースを一緒にして、印刷所との付き合いも、3誌やるからちょっとまけてよ、みたいなことで、いろいろコストメリットを出してから、ぐぐぐっと伸びてきて。

さらに『バスワールド』というバスフィッシングの本ができて、それがバスブームに乗って、すごく売れて。

西田:90年代めっちゃバスブームでしたね、そういえば。

村上:そうそう、もう今は環境保全で、最終的には「特定外来魚を放すとは何事だ」みたいな話でそこが消滅していくんですけど、当時はバスボートというアルミ製の船を積んでバスフィッシングに行くのがトレンドだったり。

西田:うんうん。

村上:そこから、車雑誌とか、ラジコンカー雑誌とか、山登り雑誌とかゴルフ雑誌とか、サーフィン雑誌とかいろいろ出して、わーっと枻出版社が大きくなっていった。

西田:僕の中で枻出版って自転車の雑誌の会社というイメージが強かったんだけど、ってことは、その当時はジャンルが広かったわけですよね。

村上:ジャンルが広かったですね。

■趣味を膨らませてメディアを作ろう

村上:ちょっと特殊な感じですけど、社員も、自分の趣味を膨らまして、これでなんかメディア作れないかな、雑誌作れないかな、みたいな。

西田:まさに、紙の雑誌メディア全盛期のあるあるというか、自分がいけると思ったものをうまく雑誌展開すると、それが新しいメディアになって、新しい商売になる、みたいな流れですよね。

村上:そうです。なんなら僕らで言えば編集長になれたりとかするわけですね。

で、僕も――僕はその時、先輩編集長が作ったラジコン飛行機の本を、スタッフがいないからお前手伝えって言われて。

僕はバイクが好きで東京出てきたのに……と思ったんですけど、バイク雑誌でもいろいろ、次世代のエースの座を2年後輩の編集者と競争して負けてしまって、落ち込んでいてたんで。

西田:なるほど。

村上:お前こっちやれ、って言われて――その人はある意味落ち込んでいた僕を救ってくれたのかなと当時は思ったんですけど。

それで、頭を切り替えて、僕はラジコン飛行機は好きでもなんでもないけど、これのメディアを作ろうということにフォーカスしました。

で、その時に初めて「あ、雑誌を作るってこういうことなんだ」と。

これまでは好きなバイクに乗ってただけだったので。こうやって売れるとか売れないとか……これまでは自分の好きなバイクを紹介したいだけだったし、好きじゃないやつの記事なんて書きたくないみたいな感じだったんですけど。

西田:はいはいはいはい。

村上:ラジコンの時に、初めて客観的に見て、こういうふうにメディア作るんだ、と学んだわけです。

そこからもうちょっと後に、いろんなメディアをどんどん、もっとないかみたいな話があって、熱帯魚の本を作ったり。そんな流れで、『flick!(フリック)』というテック系のメディアも作ったりしたんですけど。途中ではガーデニングの本とか作ったりね。

西田:ガーデニング。

村上:はい。ベランダで野菜を育てるとかね。なんか一時、農業が来るんじゃ?と――今でいうアグリテックみたいな話で、農業が来るんじゃないかなという話があって。

小田原に土地を借りて、『ザ!鉄腕!DASH!!』みたいな感じですね、そこに小屋建てたり、畑作ったり。

西田:なるほど。

村上:どんな本作るかな~、って言いながら、毎週1回小田原行って、7、8人で畑耕したりしてた、という。

西田:ほんとに『鉄腕!DASH!!』ですね。

村上:水道管とか引いてきたり。ホームセンターに行って水道のパイプ買ってきて、蛇口つけたり。

西田:塩ビのパイプを畑まで持ってって、水撒くためにこうして、みたいな。

村上:そうそう。で、いろいろ、そういう小屋も建てたんですけど、さすがに建築法上云々みたいなのがあって、柱だけは大工さんに建ててもらって、自分たちで屋根葺いたり壁作ったりして。

しかし、あれはあんまり本にはならなかった。

本にならなかったから、僕らはなんのためにやってたのかよくわからない(笑)交通費や畑で使う機材代などは、会社の経費でまかなってましたし。

ま、そんなことで趣味の雑誌を作り続けて、30年過ごして、2年ぐらい前にすったもんだあって会社を辞めてフリーランスになったという、そういう状態なんです。

で、趣味の話ですよね?

■「趣味ってなんだろう」

西田:そうですそうです。

結局、いろんな――バイクから始まって、いろんな趣味を雑誌として渡り歩いてきてるわけじゃないですか。

そこで、なんでそのそれぞれの趣味を選んだかというのは1つポイントになるし、もう1つは、選んだってことは面白いというところがあるはずなんですよね。

自分が興味を持っているということ以上に、これは読者にとって面白いという何かがあると思うんですけど、これがどういうところで生まれてきたのか。

もちろん、会社の中のジョブとして変遷していくというのもあるんだろうけど、「この趣味が面白い」みたいなのが、要は自分でやってて、どんなふうに捕まえていったのか。

その辺、まずちょっと伺いたいなと思うんですよ。

というのは、僕は変な話、一本線で来ちゃったから。

村上:「趣味ってなんですか?」って話があるじゃないですか。

趣味とは普通の人にとって、仕事じゃないもの。日々会社に行って、大変な仕事をして、それ以外に娯楽としてやるもの、というニュアンスがあるじゃないですか。

西田:そうですね。

村上:僕もオートバイ雑誌の時に、もう毎日毎日「お前、新しい企画ないのか?」とか圧がかかって。

ツーリングで箱根とかに行っても、「あのバイクは売れてるのかな?」とか、「あの人のファッションは新しいよな、ちょっと話聞いてみようかな?」とか、なんか「仕事」になっちゃって。

「あれ、果たして俺はバイクが好きだったんだっけ?」って思うぐらい圧がかかって、悩んだりしたことがあって。

やっぱりそういうことやってると、我々も「趣味とはなんぞや」ってよく考えるんです。

とってもショックを受けたのが、30歳ぐらい(25年前)で結婚した時に、妻のお父さんに、「村上くん、わしももうすぐ定年退職だから、趣味を始めようと思うんだけど」と。

西田:ああー、ありますね、そういう発言!

村上:「何がいいだろうか?」って言われて、えっ!?って。

趣味ってハマらないようにしようとしてるのにハマってしまうものなのに、「何を始めましょう?」って言われて。

西田:それって選ぶものなのか?みたいな話ですよね。

村上:そうそうそうそう。論理的に考えて、今から私はこれをやりましょう、といってやるものだとは思ってなかったので、それにすごくショックを受けて(笑)

西田:確かにそうかもしれない。僕なんかだと映画が好き。ITも好きだし、ガジェットも好きだけど、本質的には映画が好きで、映画観てれば1日なんとでもなるような人間なわけですよ。

で、おそらくそういう人間にとって映画って趣味だと思うんですよね。

でもそういうのって、「いつの間にかそっちに行ってた」というもんじゃないですか。

村上:そうそう、そうなんです。

西田:実はうちの親もそうだったのかな。趣味という趣味がないままずっと過ごしてきた人が、時間が空いちゃったから「自分が何かハマれることを選ばねばならぬ」という人もいるという。そこのギャップは確かにありますよね。

村上:そうなんですよ。

で、僕なんかは今でもなるべくハマらないように、これハマりそうだなと思ったら目を背けて歩くぐらいの感じじゃないと。

西田:ハマったら大変だから(笑)

<次回に続く>

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