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King Gnuにまんまと骨抜きにされた団体職員の現在に至るまでの記録です

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最近の記事

俺たちの好きなチバユウスケ

アベフトシが亡くなった頃に、俺たちの好きなアベフトシ、みたいな名前の2chスレッドが立っていたような気がする。 チバさんの思い出話をするなんて、数十年後だと思っていたのでとてもつらい。 つらいけど何か書かないと悲しみが濁流のように押し寄せてくるので、筆、というかスマホをとりました。 ◇ 15年くらい前の大学生の頃、猛烈にチバユウスケから影響を受けていた私は、ミッシェルやROSSOやバースデーは聴き尽くして、次にチバさんが影響を受けた音楽や映画をしらみつぶしに辿っていた。

    • 気づいたら伊那マスターへの道を歩み始めていた話

      インタビューか何かで常田さんが言っていた、「山がでかい」「伊那には何もない」という発言が妙に引っ掛かり、気づけばひとりで国道153号線を北上していた。 国道153号線とは、名古屋市からKing Gnuのフロント2人の地元・長野県伊那市を経由し、塩尻市へと続く道である。 古くは、三河湾でつくられた塩を信州まで運ぶ「塩の道」として知られ、中山道の脇街道として発展した道らしい。 三州街道、中馬街道、飯田街道、伊那街道などたくさんの別名があり、詳しい説明は省くけれども、とにかく今も

      • King Gnuに出会って全てのモチベーションが爆上がりして査読論文がアクセプトされるまでの話(1)

        なんでもかんでもKing Gnuを絡めないと文章が書けないのかと呆れられてるとは思うのですが、とりあえずタイトルの通り、King Gnuに出会った時の衝撃であらゆることに対するモチベーションが爆上がりしたまま、この2年ほど生きてきました。 そもそもは、在野でこれから研究を始める方の参考になればと思い、研究を始めた頃から今に至るまでの自分の経験を真面目に書いていたのですが、どうしても嘘っぽい文章になってしまい、素直(?)にKing Gnuからの影響にも触れながら書くことにしま

        • King Gnuにまんまと骨抜きにされた話

          ROCKIN'ON JAPAN の「音楽文」サービスがなくなってしまったので、 2020年4月ごろに書いた文章をこちらに移しました。 __________ 市役所の研修で、20代前半の保育士さんと一緒にグループワークの研修を受けたのが昨年の9月ごろ。 休憩時間になぜか好きな音楽の話になり、そこで初めてKing Gnuの読み方を知った。 「きんぐぐにゅ、じゃないんですね」 そこから半年近く経って、今、ようやく、King Gnuにハマってしまいました。 高校生に人気のある

        俺たちの好きなチバユウスケ

        • 気づいたら伊那マスターへの道を歩み始めていた話

        • King Gnuに出会って全てのモチベーションが爆上がりして査読論文がアクセプトされるまでの話(1)

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