人はいつからミニマリストを自称するか、できるか(暫定的で個人的な定義)

///この記事は歴史的仮名遣ひで書かれてゐます///

3月の頭に志してはや1ヶ月、3月は記録したスプレッドシートの出納帳によれば222個の「もの」を手放したことになるらしい。

ところで志すは良いものの、いったいいつになればワタシは世のキラキラとして自信に溢れた人たちと同じやうな「ミニマリスト」の自称を自分に許すことができるのだらうか?

いったいどの水準を満たせばインスタなどで「xxしてよかったyyのこと」みたいな投稿を恥づかしげもなく投稿することを自分に許せる??

自意識や見栄に関することなので個人的にだが、あるていど厳密に定義しておかなければと思ったのだ。そこでひとまづワタシは

ミニマリストとは
人生における「もと」と「こと」を減らす過程にあり、自身の所有する「もの」を数へることができる人
であると定義したいと思ふ。

例へば本ひとつ、何冊持ってゐるかすらまともに数へようといふ気も起きない今のワタシは到底ミニマリストを自称することはできない。人はミニマリストでないと、ここまでも無気力になってしまふのだ。怖いですね。つまりどれだけ「もの」や「こと」を減らしてゐても、持ち物をカウントする気も起きないうちは、ワタシはキラキラと自信に溢れてもゐず、インスタでドヤ投稿する段階にない。

ちなみにこの定義だと、持ち物が例へ千個あっても、根気良く数へてしまへばミニマリストを自称できる。だけど、千個もの持ち物を数へることが、ただミニマリストの自称のためだけに見合ふ努力だらうか。ワタシには到底さうは思へず採用した。ミニマリストは、もっと簡単に使ひ捨てできるくらい気軽に自称できるものでなければならないと思ったのだ。

もちろん個人的な定義に過ぎず、完全なものでもないでせう。既に世にミニマリストを自称するみなさんが、いったいどの段階からさう名乗ることを自分に許したか、大いに興味ある。


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