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〈アメリカ留学〉大学や授業のこと

 忙しいといえば忙しかったのが、時間は作ろうと思えばいくらでも作れた。しかし、後回しを重ねブログも放置してしまっていた。放置癖よくない。質の意味でも量の意味でも、大した内容のないブログだが、自分の備忘録として振り返っていきたい。

 私が留学した大学はアメリカのどちらかというと郊外にある大学。アメリカの地理に疎い私には郊外なのか否かもわからないが、そもそもアメリカは都会にしても不便なのではと思うくらいとにかく広い。土地が広すぎて徒歩でどこに行くにしては疲れてしまう。目的地に着いたころには目的をこなす体力など余っていないのではないかってくらいへとへとになりそうだ。

 とにもかくにもそんな大学で私は2週間学友らとアメリカと日本の文化の違いについて学びを深めたわけだ。講義の内容は普段アメリカの大学生が受ける授業ではなく、今回のプログラムのために特別に用意されたものだった。各々教授たちが各々の専門を持ち寄って、それについて好き勝手しゃべるというもの。当然面白い授業もあって、何言ってるかわからない授業もあって、意外と留学中に受けた授業自体に日本との違いを感じることはあまりなかった。これは非常に残念なことだと個人的に感じている。

実際のアメリカの大学では授業と定期試験だけ終わる授業はほとんどないという。すべてプレゼンありき。さらにはそのテーマは自分で決めなければならない。日本でいう卒論のようなものを、授業ごとのテーマに沿って行わなければならない。当然リサーチ力、人前でのプレゼン力が身につく。
当たり前の話ではあるが、アメリカにも内向的な人はいるわけだ。日本人は不思議と海外の人に対して誰もがフレンドリー、外交的というイめーじを抱いている。しかし、決してそんなことはない。しかし、内向的とはいっても人前で話すときは堂々としているし、自分の意見はしっかり持っている。これはこのような教育の中で培われていくものなのかなと思ったり。

ところで私は質問が大の苦手だ。何事も受け身で「ふーん」「へー」「そうなんだ」などと流してきた。授業自体に特段違いはなかったが、今回の留学で行われた授業では、授業後にグループに分かれて講師への質問タイムが設けられた。たまたま私のグループが、ということだが一人ひとりが質問をする必要があった。
ときには普段の生活や授業を受ける中、人との会話の中で、自然と疑問を抱くこともあるのだが、本当に”ときには”だ。今回ももちろん抱いた疑問をぶつければいいだけの回もあったが、大半はそうはいかない。焦りながら質問を絞り出す。いい訓練になっただろうか。

疑問を抱くこともそうだが、自分の意見を持つこと、さらにはそれを発信することのむずかしさを実感する日々だ。この年になって自然と身に着けるのは至難の業。日々の習慣で少しずつ慣れていくしかないだろう。

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