見出し画像

『HEAVEN INSIDE』と泉陸奥彦氏


2002年8月30日に稼働開始となった「GF8th & DM7th」。
そのバラエティに富んだ新規収録曲の中に、ひと際強く異彩を放つ曲があった。

それは、『HEAVEN INSIDE』。
泉 陸奥彦氏によるLONG楽曲で、当時はボーナストラックと呼ばれるモードでのみ遊ぶことができた楽曲だ。

本日2023年8月30日は、この素晴らしい名曲が世に送り出されてから21年となる。
今回は、大好きなこの曲についての自分の気持ちを書き留めておこうと思う。


○『HEAVEN INSIDE』のファーストコンタクト

2001年9月11日、同時多発テロが発生した日。あの日の事は自分もよく覚えている。テレビを付けながら数学の勉強をしていた時、突然テレビの画面が緊急放送に切り替わり、あの映像が流れたのだ。
当時中学生だった私は、その映像が何を意味するのか、どんな影響が今後発生するのかも全く想像できず、ただただ映画のワンシーンのようだと思ってしまった。

しかし、それを皮切りに、自分が目にする世界には「残酷」が広がっていった。

人間の醜い部分を、これでもかとメディアが取り上げていく日々だったように思う。
当時は自分自身も、両親同士のトラブルに巻き込まれていて若干の人間不信に陥っており、人間の争いに人一倍敏感に反応するような時期でもあった。

なぜ、人は争うのか。
ただただゲームだけをやって面白おかしく生きていけばいいと思っていた子供の心に哲学的思考が芽生えたきっかけの一つは、間違いなく同時多発テロだった。

それから約1年後。
ギタドラにのめり込んでいた高校生の私の目の前に現れた曲、それが『HEAVEN INSIDE』であった。

最初は、泉さんのカッコイイ洋楽ロックだ、という印象だった。
中学3年あたりから海外アーティストのロックやメタルにハマっていた自分にとってこの曲はスマッシュヒットとなり、サントラが発売されるまでは「聴くために選曲する」ほどに入れ込んでいた記憶がある。

しかし、それと相反してテストで赤点をとるほどに英語が苦手だった自分は、曲のノリとか、ボーカルの聴き心地のよさとか、洋楽に対しては所謂グルーヴを重点に置いていた傾向があり、歌詞への理解を深めようとは特段していなかった。

そんなんでよく洋楽にハマったなと自分でも思う。

そんな折、公式サイトが更新され、
待ちに待った『HEAVEN INSIDE』の作曲者・ムービー担当者のコメントが掲載された。
(※…当時はギタドラも、今の弐寺のように公式サイトで楽曲コメントが掲載されていた)

当時、サイトに掲載された泉氏のコメントと、ビジュアル担当だったあまも氏のコメントは以下となる。

この曲は人種、文化、宗教の違いを超えて世界の人々が平和に暮らせる世界が来ることを願った歌なんです。
こういう壮大なテーマの曲を歌えるのはスティーブンしかいないと思い今回お願いしました。
期待通りのパワフルなボーカルでこの曲の良さをさらに引き出してくれました。
★泉 陸奥彦★

「みんなが平和に暮らせる世界」
みんながみんな、そういった考えを持つことが出来れば、
きっと世界も平和になるはずです・・・。
皆さんもこの曲をやるときには、少しばかり世界の平和を
考えてみて頂けると嬉しいです。
★あまも★

当時の公式サイトより引用

『HEAVEN INSIDE』という言葉の表面的な意味くらいは、もちろん自分も理解はしていたつもりだった。
しかし、ゲームの曲が「あの」出来事をテーマとして扱うという事が、恐らく当時の自分の中で直結していなかったのだろう。
また、当時はSNSも普及しておらず、かといって自分は某掲示板を見に行くような習慣もなかった。

このコメントを見て初めて自分は、
『HEAVEN INSIDEが、同時多発テロを題材とした楽曲である』ことを明確に理解することになった。

○プロテストソングと『HEAVEN INSIDE』

俗に、戦争などを題材とした曲は「プロテストソング」と呼ばれるものに分類される事が多い。
当時この同時多発テロに触発された音楽アーティストは数多く、
実際調べてみると日本国内の著名アーティストもそれを題材とした曲を作成している事が分かる。

ただ、良くも悪くもこういった曲は「アーティスト然」とした曲も多く、
国、政権、政策等への皮肉程度にとどまらずに強い攻撃性を帯びた歌詞や表現をしている楽曲も数々存在している。
言ってしまえば、「アーティストが自分の意見を主張する」事に特化した曲が多いため、その曲がアーティストの内面に直結する象徴として扱われる事も少なくない。

そして、こういった尖ったメッセージ性を込められた曲は、称賛するファンが一定数現れる傾向がある。
そうして新たに獲得したファンの方向性に、自身の作風を変えていくアーティストも決して少なくはない。
なので、「プロテストソング」は扱い方次第で良い方向にも悪い方向にも劇薬となりえると私は考えている。
ファンにもアーティストにも、強いベクトルが示される変化点となり得るのだ。

さて、『HEAVEN INSIDE』の特徴は「誰のことも批判していない」事にあると思う。題材が同時多発テロでありながらも、上記の「プロテストソング」とは一線を画す内容となっているのだ。

あの日 全てのチャンネル プログラムが
ひどい打撃に泣いた あの日
とても信じられないほどの
苦しみは今も続いている
目を閉じて忘れ去るなんてできない
何のために? わからない
なぜこんなことになったのか?
たくさんの命が失われた
でもいったい誰が勝利したというのか?

*僕たちは天国に住んでる訳じゃない
この世界は過ちに満ちている
僕たちは天国に住んでいる訳じゃない
狂気 犯罪 争い
僕たちは天国に住んでいる訳じゃない
この世界は過ちに満ちている
僕たちは天国に住んでいる訳じゃない
けれど僕は信じている
僕たちは皆 心の中に天国を抱いていると

悲しみ 怒り そして 憎しみ
恐怖と混乱
まるで終わり無き迷路に迷い込んだよう
けれど僕は信じたい
僕たちは真実の道を見つけて
いつの日かきっとそこへたどり着くんだ
決して遅すぎはしない!
絶対あきらめない!
たくさんのものを失ったけど
流した涙を無駄にはしない

*Repeat×2

HEAVEN INSIDE 対訳

同時多発テロの内容を、非常に痛ましく、そして「過ち」であるとはっきり述べており、それにより発生する人間の負の感情は決して止められるものではない事が表現されている。
しかし、以降に続くのは「けれど僕は信じている 僕たちは皆 心の中に天国を抱いている」という一文なのだ。

天国、ひいては「平和」を願う気持ちが、生きとし生ける人類全てに存在すると信じている。
これが『HEAVEN INSIDE』に込められた主題であることは間違いない。

悲劇や混乱、戦争や犯罪の先にある人間の負の感情の存在を認めた上で、
さらにその先にある平和を諦めはしない。
そこに込められた想いはまるで、「人間賛歌」への祈りと願いのようである。

そういった、人類に対する包容力と力強さを両立させたメッセージは、
まさに泉陸奥彦氏の内面そのものを表現していると私は感じている。

穿った見方をすれば、『HEAVEN INSIDE』は平和を願うだけで具体性がないと捉える人もいるかもしれない。
しかし、泉陸奥彦氏が"人種、文化、宗教の違いを超えて"平和を願う事は、実は非常に重みがある。

○『Heaven Inside』から読み取る、泉陸奥彦氏の想い

JET WORLD
MAGIC MUSIC MAGIC
PRIMAL SOUL
A HAND TO HOLD
CARNIVAL DAY
Mr.Moon
BALALAIKA,CARRIED WITH THE WIND
MIDNIGHT SUN
STOP THIS TRAIN
MISS YOU
Tiger,too
O JIYA
Destiny lovers
美丽的家乡

氏が2002年まで作曲してきたものを振り返るだけでも、その氏の世界の広さには目眩すら覚えてしまう。なにせ、ここに挙げた曲だってまだ一例でしかないのだ。

これ以降もインストや王道系ロック、他にも様々な国や文化を表現した楽曲を作成しており、氏の無限ともいえる楽曲の引き出しの多様さには脱帽するしかない。

そして、それらを表現するためには、それこそ各国の人種、文化、宗教を理解し、エッセンスとして取り入れるようなインプットが必須となる。
その過程で泉氏は、各国が抱える複雑な事情や歴史背景も目に留めてきているはずだ。

泉氏が一般的なアーティスト以上に世界の輪郭を知り、人類の課題である「平和」に対する各国の解像度の違いを理解していると推測した上で、
「この問題は"誰か"が悪いわけではない」というメッセージ性も込めているのだとすれば、『HEAVEN INSIDE』は人として生きる者全てへ「平和」について哲学的な問いかけをしているとも解釈する事が出来る。

証拠、という言い方は語弊が生じるかもしれないが、氏が発売したアルバム、その名も『Heaven inside』内で氏が冒頭に下記のようなコメントを寄せている。

音楽。その始まりは、いったいどんなものだったろう。
おそらくは、呼び合う声がいつしか歌となり、何かを叩く音でリズムが生まれただろう。
風の音や鳥の声を真似て口笛を吹き、子供をあやし、言葉をのせて。
神や自然への祈りや儀式のために、また祭りや弔いのためにも音楽が生まれただろう。
愛や喜びや悲しみといった感動の折々に、そして遊びや労働の中でも、それは生まれたに違いない。
歌い、奏で、やがて音楽そのものを楽しむようになっただろう。
いつの時代にも、人々の営みとともにあったであろう、音楽。
僕は、そうした名も無き先人たちによって育まれ、偉人と言われる人達によって確立された音楽という文化を享受し、
数え切れないほどの名曲に感動し、ギターと出合い、そうして今、音楽を生業として生きている。
この限りない音楽の喜びを、できれば世界中の人達と共有したいと願っている。

アルバム『Heaven Inside』コメントより一部抜粋

泉氏の、「音楽」を中心とした知識や思想は、それこそ人種、文化、宗教を超えて広く吸収されている様子が伺える。
原初のリズムにまで思いを寄せる氏の音楽への解像度は、私のような人間には遠く及ばない小宇宙のようなモノを感じさせる。
そして、氏が音楽へ込める理想・思い・祈りがこの後のコメントに続いていく。

氏はきっと、音楽というフィルターを通して「人間」をインプットし続けてきたのだろう。
この精神に到達するまで、思いを繰り返し、想いを繰り返し、祈りを繰り返し、そして音楽を繰り返してきたのだろう。
ゆっくり、ゆっくり、丁寧に、丁寧に、確認し、再確認し、繰り返してきたのだろう。

その果てに込められた「平和」というものへの考え方は、哲学の領域に突入する重量を得ている。その様は、例えるならば「恒久平和」についての哲学を深めたカントという人物を彷彿させる。
泉氏の唱える「平和」は、泉氏への理解を深めれば深めるほど、表層の裏に隠された重なりに気づくことが出来る代物なのだ。

そのメッセージ性は、平和三部作と氏自身が示す「WISH」「Be Proud」、そしてGITADORA Matixxで収録された「Perfect World」でも一貫している。

アルバムに記載されている文章も、初の自身のアルバムの名前に『Heaven Inside』を冠している事も、泉氏の「音楽に生涯を懸ける志」のようなものを感じさせてくれる。なんと雄大で、真っ直ぐなメッセージだろう。
泉陸奥彦というアーティストに完全に惚れ込んだのは、このアルバムを購入した時だった事を今でも覚えている。

ただ困った事に、私はここから「メッセージ性を感じる楽曲」に強く惹かれるようになっていく。
言ってしまえば「性癖」なのだが、恐らくこの頃に副作用として拗らせてしまったと自分は思っている。
2MB氏やあさき氏、Akhuta氏を自分が好むようになったのも始まりを辿ればここなのかもしれない。

結果、これは36歳になった今、更に強めに拗らせてしまい、noteにこうして散文を書き散らすに至っている。まぁ、大変に心地よいので私は全く問題はない。

○楽曲としてのクオリティの高さとゲームとしての相乗効果

さて、冒頭でも述べたが『HEAVEN INSIDE』は楽曲としてもクオリティが非常に高い。

テーマの重さをそのまま表現するかのような全体的な音の重さ、
2番の後に続く泉氏の泣き(啼き)のソロパートギター、
そしてそれに続く「"We don't live in Heaven"」での緩急の付け方、
スティーブン氏のパワフルで伸びのある聴き心地の良いボーカルが、
曲に込められた感情と共鳴するかのような相乗効果を生んでいく様…。
どこを取っても聴きどころばかりで楽曲の完成度が非常に高く、まさに名曲と呼ぶにふさわしい。

そして、これをゲームで疑似演奏をするという行為が、より己の感情との相乗効果を生む。
ただ聴くだけでは得られない、「曲と融合する」ような感覚はギタドラだからこその体験といえる。
この楽曲をLONGとして収録してくれたギタドラには、ただただ感謝しかない。

また、平和を説く曲にありがちな「説教臭さ」を微塵も感じさせない作詞・作曲・演奏・歌唱・そしてクリップのバランスの良さも、ただただ見事だと思う。
ぶっちゃけ、今でもマジで21年も前の曲なのか?と思えてしまう。色褪せない魅力とは、こういうものをいうのだろう。

余談となるが、当時のアンコール(今でいうプレアンの位置づけ)は、TOMOSUKE氏の「Infinite」であった。
どこまでも透き通った清涼感のあるアンコールは「GF8th & DM7th」のエンディングといっても過言ではなく、歌詞も「よりよい未来を描いていこう」というような前向きなメッセージ性があった。

しかもこのアンコールは、ボーナストラック(LONG)でしか行けない仕様となっていたので、まるで『HEAVEN INSIDE』のアンサーソングのような気がしてしまったのは、きっと自分だけだろう。



※当時のエキストラ曲

(エキストラ曲が強烈だったからお口直しの意味合いといえば、それはそうかもしれんけど)


○最後に

音ゲーは、あくまでアミューズメント施設で楽しむことを前提とした娯楽だ。

そんな音ゲーに、強いメッセージ性のある楽曲を収録するという泉氏の「勇気」と「行動」に、自分は敬意を表する。
そして、ギタドラというゲームが続く限り、9.11への祈りを込めて自分は『HEAVEN INSIDE』をプレーするだろう。

泉陸奥彦さんの願った「平和」の形が、この世界に少しでも広がりますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?