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宮城福島沿岸縦断 ポケふた巡りの旅 ①

自分は、以前から宮城と福島の沿岸部を巡ってみたいという願望があった。
理由は、まぁ色々だ。単純に巡った事がほとんどない地域だし、岩手の沿岸部との違いを確かめたいという想いもあった。

しかし去年と一昨年は、会社のコロナ対策が異常なほど厳格だったこともあり県をまたいだ移動が実質禁止されていた。もし派手に動いた後に感染した事が発覚したら、会社の規定でそれはもう面倒くさいことになる。

感染前の数日間はどこに行ったか・数日間は誰と会ったか・会社での接触者は誰か・どこの休憩室とトイレを使ったか、等々…報告をすることが山のように出てきてしまうのだ。
そして、その報告項目の中にうっかり迂闊な内容が混じってると、どんな理由でそこに行ったのか・それに関しては上長へ報告をしているのか、等々…追及が山のように襲い掛かってきてしまうのだ。

もはや見方次第では魔女狩りでは?というレベルだったのだ。そんなコロナ対策に恐れおののき、ここ数年は日帰り旅行ですら躊躇していたのだった。

だが、今年はそんなことはない。会社の規制も大幅に緩和され、万一の際の抗原検査さえ出来るようにしておけば問題ないとお触れが出た。
実は去年はGWの休みが2日半くらいしかなかったため強烈な辛酸を舐めて過ごしていたが、どうやら今年はしっかりと休むことができる事も確定した。

旅行だ。旅行ができるぞ。

もちろん5月上旬時点ではまだまだ感染対策が必須ではあるものの、今までに比べれば制限はほぼ無くなったに等しいほどだいぶ緩和された。
今まで色々な場所に行けなかった分、ちょっと無茶をしてでもたくさんの場所を巡ってみたい。

『無茶して』『場所を巡る』
このキーワードに、自分の多極性ニューロンの刺激による経験の回帰が発動し、ある4文字のキーワードがおぼろげに浮かんできた。

「 ポ ケ ふ た 」


そうだ。今回の旅行は、ポケふたを中心に巡ろう。
宮城と福島の沿岸のポケふたを巡りまくろう。

そう思い立った瞬間、もやし親父は福島と、なぜかついでに宇都宮の宿を予約していたのだった。


○ 0:ポケふたとは?

ポケモンの絵が描かれたマンホール蓋『ポケふた』が全国で次々に発見されています。
ディグダが掘った穴の跡に、その「しるし」として誰かが絵を描いているというウワサ。次の「しるし」は、どこに現れるのでしょうか。

ポケモンマンホール『ポケふた』公式より

以前、自分は岩手の沿岸部を果敢に攻めていき、当時設置されていたポケふたをコンプリートした事がある。

岩手は広大だ。当時は13個のポケふたがあったが、1日ですべてを回収するためには往復距離で400km以上を走破する必要があった。ハッキリ言って無理だ。
弾丸回収はスッパリとあきらめ、2日間掛けて観光も挟みながら回収をしたのだった。4年前くらいの出来事だったろうか、もはや懐かしい。

さて、今回のターゲットとなるポケふたについてだが、
宮城沿岸部には12箇所、福島沿岸部には7箇所、そして栃木には宇都宮のみに3箇所ある事が確認できた。

当初は1泊2日で宮城・福島を練り歩く事だけを考えていたが、福島はいわき市まで走ることになり、まぁまぁ南下することになる。
そこまで行くと栃木はそこまで遠い距離というわけではない。しかも栃木のポケふたは3枚だけ、それも宇都宮に密集している。

ならば2日目も宿をとり、福島南部を回収したら栃木も回収してしまえばいいのではないか。そして1泊2日ではなく2泊3日にしてしまえば、その余白で近辺の観光もできるだろう。

そして、自分は音ゲーマーだ。ならばついでに旧作の聖地ともいえる「ジャムつく」も覗きにいってしまうのはどうだろう。
おぉ、とても素敵ではないか。こんな打算が多極性ニューロンの暴走による計画の策定により導き出された。

先程、宇都宮の宿を予約した理由はここにあったわけである。

思い付きで勢いのまま宿を予約したのは、4月16日。すでにGW予約のせいで空いている宿は片手で数える程度しか残ってなかった。危ない危ない。
急遽思い付きでぶち上げた計画を出来る限り精査していきながら、ポケふたを中心としたルートを策定し、タイムテーブルを組み立てていく。

しかし、なんやかんや4月下旬は仕事が忙しかったせいでルートを細部まで詰め切ることは出来ず、準備レベルは70%程度という状況でとうとう出発の日である5月3日を迎えた。

○ 1:「けせんぬま」

当日。出発時刻の4:30を迎えた。
まだまだ周りは薄暗いが、もうじき太陽も登るだろう。さぁ、出発だ。
えっ、早すぎる?そんな事はない、意外とこれでもギリギリだ。

こちらを見て欲しい。1日目に巡る予定のポケふたは、宮城北部の気仙沼から福島中部の南相馬市までとなっている。車の移動だけでも、ほぼ確実に5時間は浪費することが確定しているのだ。

しかもこの道中、とくに前半の宮城においては、ポケふたが大きい道路に一直線上に固まっていないのが特徴だ。そのため、巡るルートはどうあがいても福島への直線距離より長くなる。初日の宿をとっている南相馬市までは、あまり余裕があるわけではなかったのだ。

1つめのポケふた、「けせんぬま」までの運転は、ひとまずマメ子嬢が担当することとなった。流石にこの時間の出発となると、道中は車もほとんどいないため非常に快適だ。

今日も愛車は田舎を爆走する
わずかな希望を停留させる俺たちを乗せて、共に運転しながら
県の果てにはあるだろう、穏やかなゴールを手に入れる場所に辿り着くまで

あれよあれよという間に山道を超え、約80キロの道のりを走破していった。


本日1つ目のポケふたとなる「けせんぬま」は、
『気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ』の近くにある。
このnine oneというオシャレそうなイタリア料理店が目印となり、その目の前に設置されていた。


デザインはラプラスとイシツブテがグータッチをしているような絵だ。
恐らくこれは、ここが宮城と岩手の境目である事から、
いわて応援ポケモンであるイシツブテと、みやぎ応援ポケモンであるラプラスが結束するような意味合いが込められているのだろう。

ポケふたの公式ページにはこう記されている。

気仙沼は世界三大漁場三陸沖を目の前に持つ水産業の街&美食タウンであり,水揚げ日本一のサメ,かつお,メカジキをはじめ四季折々の豊かな食材が揃います。
三陸復興国立公園に指定される海岸などの豊かな自然を持ち,2013年には日本ではじめてのスローシティとして認証されています。

『ポケふた』宮城県/気仙沼市のページより

ちなみに、スローシティとは地域の食や農産物、生活・歴史自然環境を大切にした個性・多様性を尊重するまちづくりを指すのだという。
スローシティの発祥はイタリアなのだそうだから、もしかしたらこのお店もそれをアピールするような意味合いがあるのかもしれない。

しかし、今はまだ6時35分。店の開店は当然まだ先なので、いつかの楽しみにとっておくことにしよう。
…そう、こんな時間だからかもしれないが、現場にはラジオ体操第一が鳴り響いていた。うーん、いかにも6時35分といった趣だ。
住民の方々は早起きは当たり前で、この放送でラジオ体操をするのも日課としている人がいるのかもしれない。
まぁ、ここには誰もいないけど。

鳴り響くラジオ体操第一を背に、さてそろそろ次のポケふたを目指そうと車に戻ろうとしたところ、衝撃的なことが起きた。
なんと、なり終わったはずのラジオ体操第一がループしたのだ。
そんな、ばかな。またラジオ体操第一をやるのか。この流れで続けて流れるのはラジオ体操第二じゃないのか。もしかしたら放送を担当している人は生粋のラジオ体操第一のマニアなのかもしれない。

担当者の健やかな健康をお祈りすることにして、2回目の腕まわしが聞こえてきたころで車を発進させた。

○ 2:「みなみさんりく」

さて、次の目的地は「南三陸 ハマーレ歌津」だ。
当然、今回そこへ向かうのは初めてなので、文明の利器であるカーナビを召喚する。時間が足りず、なんとなくでしか設定できなかった経路問題もこいつがあればきっと大丈夫だ。

「100m先、右方向です」
45号線を目指していた途中、本線への道を前にして突如右を言い渡される。
一応標識も見えてはいたのだが、とりあえずここはナビに従ってみた。

しかし、すぐに
「30m先、左方向です」
と指示が入った。…ずいぶん曲がらせるのが好きなカーナビだ。

そして、曲がった直後に言い渡された次の指示は「まもなく、左方向です」だった。なんだこの指示は。これでは先ほど曲がったばかりの道路に合流する事になる。

さすがにおかしいと思いながらもとりあえず左に曲がってみると、なんとさらにカーナビさんは「まもなく、左方向です」と仰った。いやいやいやいや、待て待て待て待て。

(道案内イメージ)

超ざっくり説明すると、この図のようにカーナビに案内されたということだ。無限ループって怖くね?
そして、さらにカーナビの画面をよく見ると、今走っているはずの道路はナビには表示されていなかった。

「あっ、しまった。そういうことか」

思わず声に出してしまった。
意識するべきだった落とし穴に、自分が見事にはまってしまった事を理解したからだ。綺麗に舗装された道、真新しい会社の建物やコンビニですっかりとイメージが離れてしまっていた。


(google 2013年6月写真引用)


ここは、被災地だ。

自分のカーナビは、最新の地図情報へ更新する際は定期的に送られてくるSDカードを読み込ませて対応している。つまり、恐らく、更新情報に対して最新の道路事情はイコールになっていなかったのだ。
今走っているこの道は、カーナビデータにはない新しい道路だったのだ。

こうなったら、グーグルと現地の道路標識を見比べて情報修正するしかない。無限の左折ループに陥れようとするカーナビを一度解除し、別のルートを発見することで何とか事なきを得た。


元の予定に対して10分前後のロスをしてしまったものの、
なんとか7時10分に2つ目のポケふた「みなみさんりく」へ到着した。


改めて紹介だが、このポケふたは「南三陸 ハマーレ歌津」という場所に設置されている。
色々な商業施設が横並びになっており、敷地端には郵便局もある。
なんとなくどことなく、全体として道の駅に近いような雰囲気がある。


ポケふたのデザインは、ラプラスとオクタンだ。
どうやら南三陸はタコの名産地らしいので、
それをあしらってのデザインとなっているのだろう。

ポケふたの公式ページにはこう記されている。

南三陸町は宮城県北東部に位置し、青い海と緑の山々が織りなす
コントラストが鮮やかな色彩を奏でる美しい里海里山の町です。
中心に位置する志津川湾は2018年10月に「ラムサール条約登録湿地」に登録されました。
また、「南三陸キラキラ丼」は一年を通して四季折々の海産物が楽しめるグルメです。

『ポケふた』宮城県/南三陸町のページより

なんと魅惑的なワードであろうか、南三陸キラキラ丼。
春夏秋冬で食材が変わる非常に素敵なグルメだ。
それはどうやら、次の目的地で食べることができるものらしい。

○ A:旧南三陸町庁舎


ということで、ハマーレ歌津から9キロ前後走らせ、
次の目的地である「南三陸さんさん商店街」へ到着した。
看板にもタコが描いてあるほど、やはり南三陸といえばタコなのだなと実感させられる。

しかしながら、現在時刻は7時30分。
当然飲食店の類はまだまだ準備している気配すらない時間帯だ。
心がキラキラ踊りそうなグルメも、次回のお楽しみということにしておこう。

ところで、この商店街には奇妙な共通点がある。


それは、トイレの表示にも使われている。


商店街の中心看板にもその姿がある。


お店の入口にも至る箇所に置かれている。


あ、ごめん、これは関係ない。


そう、その共通点というのは「モアイ」だ。
実は、南三陸町はチリと防災的な観点からの深い交流があったそうで、
様々な経緯があって本物のイースター島の自然石を使ったモアイが送られてきたのだそうだ。

パネルの説明によると、チリ津波による被害が南三陸町であったことを切っ掛けにどうやら交流が始まったようだ。
モアイに込められたエピソードの鱗片から、元々防災に対する意識はかなり高い町である事がうかがえる。


そのためだろうか、同敷地内には大型のメモリアル記念館なども併設されている。


また、同敷地内には名産を使った「タコぷりん」なるメチャクチャうまそうなキッシュや、イチゴを売りにしたお菓子類など、目移りする販売品も多い。
そして、先ほどのキラキラ丼が食べれる店舗がここには複数存在しているようだ。いよいよ次回こそは、ゆっくりと全部の施設が開店している時間を狙いたいところだ。

ここにポケふたはない。
しかし、単なる休憩所として入ったわけではなく、
ここには寄っておきたいあるスポットが存在していたのだ。


独特なデザインの橋を渡り、
川を超えた先に見えてくるのは


南三陸町震災復興祈念公園だ。


散歩やジョギングなどにも適してそうな広大な敷地面積もさることながら、
もっと特徴的で有名なモニュメントがここには存在する。


それは


旧南三陸町庁舎だ。


実はこの旅は、表向きのテーマはポケふた巡りとしていたが、
もう一つの裏テーマは「震災遺構巡り」である。

そもそもポケふたは、
来訪促進など積極的に観光振興に取り組む自治体に対して、
株式会社ポケモンが無償で提供する事業とされている。

岩手県のポケふたについては、
いわて応援ポケモンがイシツブテと決定してから急速に設置が進んでいった。そして、当初その中心となっていた設置位置は『沿岸』である。

そしてその流れは宮城・福島も同様となっている。

震災からの復興を目指す町への、観光促進に対する潤滑剤としての期待。自治体がポケふたの設置を推進したのはこれが狙いではないかと推測する。
(※…現在は岩手・宮城・福島ともに内陸への設置も増え続けている)

そういった意図を踏まえると、やはり設置を希望する地域は、当然自分の地域の事を知ってもらいたいという願いは強いはずだ。
そしてその願いを反映するように、地域として伝えたい物が壊されずに保存されている場所がある。それが震災遺構だ。

すなわち過大解釈してしまえば、沿岸地域のポケふたと震災遺構はコインの裏表なのだ。

地域としては、収入源となる観光にも当然来てもらいたいだろう。
しかし、その観光に力を入れるようになるまでに至る経緯、つまり過去の歴史を紐解き震災の事についても触れて理解してもらいたいと考える住民も、心情としてきっと多いだろうと自分は推測している。

ならば、どちらも巡ろう。巡った場所の、表も裏もこの目で見て、肌で感じていこう。
今回の旅にはそんな意図も込めていたのだ。


旧南三陸町庁舎の鉄筋には、すでに至る所に穴が開いていた。
そしてよく目を凝らすと、その穴に何かが出たり入ったりしている。


鳥…だ。
正確な数は確認できなかったが、かなりの数の鳥がここを「巣」としているようだった。

過去の被害を伝えるために残された建物で営まれる、命のリレー。
静寂に包まれるこの広場の中で、健気な鳴き声をあげる鳥たちがとても愛おしい存在に感じた。

ここまで無事運転してもらったマメ子嬢に変わり、
ここからは自分がハンドルを握った。

○ B:大川小学校

次に向かった目的地は、震災遺構の大川小学校だ。


そこには伝承館も併設されており、
至る所にそれまでの歴史や当時の状況が書かれた展示物が作られていた。


当時の津波の威力を物語る天井、地面、壁。


倒壊した柱と渡り廊下が、改めてその衝撃を伝えてくる。
場の静寂が、まるで嵐の前の静けさなのではと錯覚してしまうほど
張り詰めた迫力がそこには残されていた。

ふと周りに目をやると、2組の家族がここを訪れていた。
どちらも子供がいて、恐らく小学校中学年くらいの年齢に見えた。
目線を合わせ、指を差しながら、お父さんお母さんが子供に対して何かを話している。
距離があったので会話の内容は全く聞こえなかったが、
子供の方も興味をもってあれこれと質問しているようにも見えた。

震災を知らない子供たちに、親御さんたちはここで何を伝えているのだろう。聞こえない言葉の内容に想いをはせながら、自分たちは次の目的地へ向かうことにした。

○ 休憩:道の駅 硯上の里おがつ

この時点で、まだ時間は8時45分。
旅路は思ったより順調だった。
そして次の目的地では10時半開店のお店で朝+昼食を予定していたため、少し時間に余裕があった。

当初は寄るかどうか迷っていたが、時間調整のために「道の駅 硯上の里おがつ」へと立ち寄ってみた。


この場所、建物などがなかなかオシャレな造りで


眺めも絶好のロケーションである。
どうやらここは2021年4月にオープンしたばかりの、まだまだ新しい道の駅のようだ。

ここの売りは、なんといっても伝統工芸品「雄勝硯」(おがつすずり)を猛プッシュしている点にある。
同敷地内にある伝統産業会館では、雄勝石を使った工芸品の販売や展示などが行われている。建物にもメチャクチャ石が使われていて、石マニアであるマメ子嬢は大興奮といった様子であった。

当然、販売している伝統工芸品はまぁまぁなお値段である。
しかし、よさげな見た目と旅行気分でついうっかり財布の紐が緩んでしまい


ン千円の石のお皿を一枚お買い上げしてしまった。まぁ、悔いはないがね。
和菓子や美味そうなメシをのせて、これでもかと写真をバシャバシャ撮る時にでも使うことにしよう。


隣接している海産物直売所は、そこそこに大きな水槽が複数個置かれており、元気に生きている魚や貝の様子をばっちり眺める事もできた。
割とガチな魚屋さんかな?というレベルの設備で、見てて面白かった。

まだ時間が早かったので開店はしていなかったが、食事処もわりと豊富で、どの店舗も美味しそうな雰囲気がプンプンの場所となっていた。

食べた後はテイクアウトコーヒーを持ってウッドテラスで海を眺めながらチルするのもベネな雰囲気で、こりゃ再訪の価値ありじゃね?と思わずにはいられない場所となっておりました。

○ 3C:「おながわ」 & 旧女川交番

時刻は9時55分。
次のポケふたスポットである、道の駅おながわへ到着した。
ここでお目当てにしていた海鮮丼のお店が開店するまで残り30分である。この30分をいかにうまく過ごすかが、今後の日程に大きな影響を与えるだろう。

さて、そうと決まったら早速ポケふたに行こうか。


ポケふたのデザインは、ラプラスとキャモメだ。
ここでまさに沿岸ド直球といえるキャモメのおでましとなる。

ポケふたの公式ページにはこう記されている。

牡鹿半島基部に位置する、海と自然に囲まれた町。風光明媚なリアス式海岸ではカキやホタテ、キンザケ等の養殖が盛んに行われています。四季折々の美しい風景や風を感じながら、様々なアクティビティを楽しむことも出来ます。

『ポケふた』宮城県/女川町のページより

なるほど。やはり海産物、それも養殖が盛んに行われているイメージのようだ。様々なアクティビティというのは、恐らく新設された女川町海岸広場のことも指しているのかもしれない。
地図上で見た限りではスケートパークやマッシュパークなど、色々な年層に向けた公園が作られているのだろうな、といったイメージだった。


まず1つめの目的を無事に果たした。
落ち着いたところであたりを見回してみると、ここが海外のシーサイドタウンを彷彿とさせる造りとなっている事に気づいた。

この石畳の道の事をプロムナードというそうだが、これが真っすぐ海に向かって突き抜けるように伸びている構造となっており、非常に景観がよい。
どうやらこのラインというのも、初日の出が延長線上に見えるように狙って作ったものらしい。

計算された景観というわけだ。


テナントの壁には小さな絵がタイル貼りされており、これまた非常にオシャレな感じだ。個人的には音ゲー曲で言うところの「La fame di Adria」のジャケットを連想した。
様々な景観の細かい所に、どことなく異国風情を感じる。まるでちょっとした海外旅行にきたような気分だ。


海側に向かって歩いていくと、すぐに海岸広場に到着した。
GWということもあってだろうか、広場ではフェスティバル的なものが開催されていた。

流れている音楽と海沿いというロケーションも相まって、まるでスプラトゥーンのフェス会場のようにも感じた。

さて、女川での目的の2つ目は、このフェスティバルに出店しているという
フルーツサンドのお店、「デセール・ティティ」だ。
本来は近くに店舗があるのだが、調べてみたらこの日はフェスティバルでの出店となっていた。

(2023/10/25追記:デセール・ティティさんは閉店されたとのことです。)

このお店、なにが面白いかというとフルーツサンドのほかにもパフェのテイクアウトを提供しているという点だ。


フルーツサンドを入れる容器をそのまま転用して使っているため、表面映えだけでなく側面からも断層映えを見て楽しめる二段構えだ。

朝食を抜いており、おなかも空いていたのですぐにでも食べてしまいたかったが、メインディッシュはこれからとなっていたので一旦車のクーラーボックスに避難させて、デザートとして頂戴することにした。

ちなみに、味は当然◎だった。自分はレモンパフェを食べたのだが、爽やかな酸味とほのかな甘みのバランスが良く、海鮮丼を食べた後のデザートにはうってつけだった。


さて、この海岸広場には女川の震災遺構が存在する。
それは「旧女川交番」だ。ここが、女川での3つ目の目的となる。

名前の通り、震災前までは交番として機能していた建物だったものが震災遺構として登録されたものだ。
鉄筋コンクリートの2階建ての建物と聞けば、本来だったら窓部分が破損したり配管がへし曲がったりしても、なんとか原型を保ったまま残っているケースが考えられる建物なのだが、

現実はこのような形となっている。
基礎ごと建物が横倒しにされ、強烈なインパクトを与える有様のままで、この交番は保存されている。
どうやら、鉄筋コンクリートの建物が津波で転倒したという事例は日本ではこれが初めてだったそうだ。


回りをスロープで囲んであり、かなり近くまで見に行くことができるようになっている。ただ、やはり自然にさらされている遺構なので、一部の招かれざる客が巣をつくっているようだ。


蜂に注意しながら下っていくと、スロープ壁面には震災の復興への歩みを紹介するパネルも掲示されていた。
そこには形式的な紹介だけでなく、町をどのように復興させていくべきなのか町民たち同士で折り合いを付けながら必死に着地点を模索するストーリーも紹介されていた。

そこには、生の人間達の姿が描かれていた。

葛藤、妥協、譲歩、そして信用から信頼へ。
あぁ、あの美しく魅力的な道の駅はこういった方々の複雑な心境の果てに、
それでも町をよくしていきたいという思いを乗せた結果生まれた場所なのだ、と。
予想を超えて、非常に感慨深い気持ちでパネルをみることになった。


さて、そうこうしている内に
いよいよ女川での4つ目の目的である海鮮丼のお店の開店時間となった。

今回お邪魔させて頂いたのは「まぐろ屋 明神丸」
やはり海辺に来たら海鮮丼なんだよなぁ…。
開店時間も早かったうえ、お値段もリーズナブル。
ウニが甘ぇ!マグロも甘ぇ!当然臭みなんてねぇ!非常に贅沢な一杯だった。
自分が食べ終わり、店の外に出ると恐ろしいレベルの長蛇の列となっていた。女川の海鮮丼屋は開店凸が一番だ。

ちなみに、他にも同敷地内に海鮮丼が食べれる「お魚いちば おかせい」というお店もあるのだが、
ここはどうやら水曜どうでしょうでも取り上げられた場所らしく、また営業時間も早かったせいかとんでもない量の人でごった返していた。いつか、こちらの海鮮丼も食べてみたいものだ。


食後はマザーポート・コーヒーをテイクアウトして、海の見えるスポットでパチリ。映え~☆

なにここ、本当に意図せずとも絵になる場所が多いな。
しかし、華美に若者向けにギラギラしているわけでもないから、老若男女に愛されて然りの雰囲気がここにはある。このバランスに行きついたのは、ただただ見事だな…。

女川、ポテンシャル高いです。

時間の都合でこのあとはすぐに出発してしまったのだが、
このすぐ近くにある女川駅の裏には、これまた異国情緒が凄まじい「ホテル・エルファロ」という場所がある。いわゆるトレーラーハウス型の宿泊施設だ。

この雰囲気、ドチャクソ好みです。ワイにドストライク。ここまで異国寄りにする必要あるかって?いいんです。実に最高です。
あとはここに泊まって、夜は居酒屋に繰り出して海鮮と上等な日本酒で一杯なんてやったら、最高だな……優勝過ぎる……。

女川、ポテンシャル高いです。



さて、ここで日記は一区切りとしたい。
続きはまた後程の投稿となるのでこうご期待である。

…まだ1日目の午前中までしか書いてないのに10,000文字…?
どういうことだ…?

続きはコチラ。

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