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絶対音感があって困ること、の仮説

一応持ち合わせている絶対音感を、日常で意識することなど殆どないのだが、
最近「もしかしてこれは、音感があるせいなのか?」と思うことがある。

わたしは、音楽を聴きながら文字を読み、理解することが頗る苦手だ。本はぜったい読めないし、勉強なんてもってのほか。これは、日本語の歌を聴きながらはもちろんなのだが、英語やインストでもダメな場合がある。
そもそも、みんな日本語を聴きながら文字が読めるのだろうか。図書館で勉強している学生の多くはイヤホンをしているし、きっとできる人も多いのだろうな。
わたしは、言葉が耳から入ってきたら、目で読んでいる言葉と、頭の中で事故が起こる。で、耳からの情報が勝つ。目からの情報は、なんも頭に入ってこない。

わりと最近まで、この脳内事故は「耳から日本語が聴こえる場合に限る」と思っていたのだけれど、そういえば英語やインストで気が散るのも同じような感覚だな?と気が付いた。(ただ好きな音楽にノっちゃうだけだと思っていたのだけれど、それだけではない様子)

どうやら、音楽を聴くとき、無意識に、脳内でメロディーが音名に変換されている。わざわざ「ドレミ」でなぞっているつもりはないのだが、自然と「ドレミ」で把握している。たぶんそのせいで、音楽を聴くとき、脳の言語的な部分が働いている。無意識に。そのせいで、日本語だろうと知らない言語だろうとインストだろうと、全部言語脳を侵略して、聴覚vs視覚情報になり、結果、聴覚が勝つ。情報量がより多いからだろうか。「作業用BGM」が作業用にならない。

だから、今も完全に無音で書いている。喫茶店のBGMに意識を持っていかれることもしょっちゅう。昼間、作業車が注意喚起メロディーで小さな世界を流していたのだけれど(そういうのあるよね?)、それも「シドレーシーソー」となぞっていた。やっぱり、そういうことなのだろうか。時に寂しい性質。

とはいえ、これはわたしの場合の仮説なので、音感のある方、何か体験談などあれば教えてください。あとおすすめの耳栓もあれば教えてください。

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