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『プーチンの世界 「皇帝」になった工作員』感想

ブルッキングス研究所所属のフィオナ・ヒルとガディ・クリフォード・Gによるプーチン大統領の研究書です。 本書で述べられるのはあくまでアメリカ人から見たプーチン像であることと、2014年に出版された本の翻訳であるため内容が少し古いという点には留意する必要があるものの、非常に勉強になりました。

そもそもプーチンは自身の情報をコントロールしていますから、彼の実像にせまるのは難しいことです。
だからといって、現代のロシアを自分たちの枠組みとは違う「よくわからない国」にしておいていいのかなとも思います。国際社会で彼らを孤立させるのは恐ろしいことだろうと思われます。

本書を読んでいて、私は自分のことを日本人という東洋における特有の立場の人間だと思ってきたし、今もそうだけれど、「近代化」されて以降の現代日本人として私は骨の髄まで「西側」の人間なのだということを突きつけられた気分になりました。

私からすると、ロシアはすごく強硬で過剰な防衛反応を見せているように感じるけれども、 歴史に基づきロシアの側に立って考えたとき、孤立が深まるばかりで外は敵だらけというなかで、いかにロシアを守るべきなのかということを切実に考えなければならないのだろうと考えさせられました。

一世紀前に社会主義という選択をし、彼らは多くの近代国家、資本主義国家(西側諸国)とはまったく違う歴史を歩むことになった国。

それとロシアの抱える多民族共同体という問題はやはり切っても切れない関係にあるように感じています。百年前のナショナリズムの盛り上がりのなかで、何をもってロシアをロシアと定義するか、その苦悩は島国の日本人には想像もつかないかもしれないと思いました。一体どこからどこまでがロシア人なのか。
ヨーロッパともアジアとも地続きで180以上もの民族が暮らす広大な国土と国民を、何をもってどこからどこまでロシアと定義するのか。

プーチンが執拗なまでに団結を強調するのも「ロシア」を守るためにはそう言うしかないでしょう。そうでなければあっという間に空中分解してしまう。

プーチンにとっては、ロシアは絶対に大国でなければならない。
彼にとっての大国とは、自分の主権を何者にも脅かされることのない国ということのようでした。それこそ、同盟国からも債権国からも国連からもしばられることなく国家の舵取りをできるということが重要になります。

なぜロシアは協調しないのかと疑問を感じる西側の人は多いと思いますが、たとえば同盟というものがロシアの主権を脅かすなら(同盟のためには〇〇しなければならないとか、〇〇してはいけないとかをロシア人以外が要求し、ロシア人が自分の国に関する決断を自由にできない事態を招くなら)それはプーチンにとっては受け入れがたく、 またロシアが独自の道を歩んだ国家であるためどうしても西側諸国と同じ方法を受け入れられないことが多々あるのがまた悩ましく思われます。

だからといってウクライナに対する行為は到底容認できるものではありません。ただ、それに対する対策が現状経済制裁しかないというのがまた苦しい点です。
ヨーロッパもアメリカも日本も、これがヨーロッパ各地の戦争、ひいては第WW3に発展することを阻止するためならあらゆる犠牲を容認する。経済制裁だけで止まった戦争は過去に例がありません。WW1のあとも、世界大戦を絶対にまたやりたくなかったからこその連合国側の対応があったわけですが、WW2は起きました。

じゃあどうするべきなのか、もっと強硬な対策が必要なのか、逆にロシアの要求を受け入れるのか? 自分たちの変容をせまられてでも融和の道を模索するのか。できるのか。それを選ぶのは、民主主義下では主権者である国民なのでしょうが、今ますます自分が主権者のひとりであることの責任を重く感じています。


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