Moonの世界に生きるということ


この記事には"Moon"をプレイする上で、終盤まで開示されない重要な展開などのネタバレが含まれています。

Moon未プレイの方の閲覧を推奨しません。
プレイした後、ぜひ読んでください。

なおこの記事は私の「好き!!」という感情を燃料に、ほとんど勢いで書いているので、まちがいや個人の解釈が含まれる場合があります。


おばあちゃんとタオと、3人で暮らす

"おばあちゃん"はプレイヤーが操作する"ぼく"のおばあちゃんだ。
ハダカのままこの世界で目覚めたぼくの唯一の家族で、ぼくの帰りを待っていてくれる人だ。
毎朝、ぼくのオヤツにクッキーを焼いてくれる。

おばあちゃんは、町外れにある家に、犬のタオと一人と一匹で住んでいる。
おばあちゃんは目が見えないので、ほとんど一日中家の中で編み物をして暮らしてる。
タオはとても元気なので、決まった時間になったらひとりで散歩に行き、夜にはちゃんと家に帰ってくる。

ぼくが居なくなったら、おばあちゃんはどうやって暮らすのだろうか。
クッキーを焼くのだろうか。
ぼくが居なくなったことを、いつ知るのだろうか。
おばあちゃんの孫が居なくなるのは、ぼくで2回目だ。
ぼくが現れるまで、おばあちゃんはどうやって暮らしていたのだろうか。
クッキーを焼いて居たのだろうか。
ドビュッシーの月の光が流れるあの優しい家で、ずっと安楽椅子を揺らし続けるのだろうか。

世界の終わりを、住民たちは観測するのか

ムーンワールドの住民たちは、ぼんやりと世界が滅びてしまうことを危惧している。
月の光が失われるなど実際に世界には何かが起きているようだが、大半の住民は対して気にも止めていない風で、深刻に捉えている方が少数のようだ。

では、一部の住民が恐る"世界の終わり"とは何だろうか。
ムーンワールドは、ゲームのディスク上に広がる作られた世界だ。
極一部の、悟りを開いたような住民だけがこの世界の真実に気が付きかけている。
「王様」「パン屋」「勇者」に決められたものはいるが、「世界を終わらせる者」に設定された住民はいない。

ただ一人だけ「設定がない」住民がいる。
ぼくだ。

ぼくの冒険は、ムーンワールドから出ていく(=ゲームを終える)ことで幕を閉じる。観測者であるプレイヤーが画面の前からいなくなる。
ぼくは、世界を終わらせることができる。
だがそのことに、ムーンワールドの住民たちは気づかないだろう。

扉をひらいたその先に

ぼくはムーンワールドを出て、プレイヤーに戻る。
ゲームの電源を落とし、部屋のドアを開けて外へ出るのだ。
そこはスライムのような生き物がビョンビョンと跳び回るフシギな世界ではない。
君だけのために焼かれたクッキーもきっとないだろう。

プレイヤーが扉をひらいた時、ムーンワールドは終わってしまうのだろうか。

フローレンスは、我々の生きる世界を覗き見ていた。
無数の車が灰色の煙を吐き出し、思わず音量を下げてしまうほどの騒音が鳴り続けている。そこに暮らすはずの他人の顔が全く見えない。

プレイヤーはムーンワールドを失って、この世界で生きていかなければいけないのだろうか。

何度でも出会える、何度も別れる

我々はすでに扉を開いている。
電源を落としてソフトを取り出して、やらなければいけない事がたくさんある。
顔を洗って、化粧をして、会社に行って一日が終わる。
会社があるのに、市役所の手続きが平日しか受け付けていない時もある。
くだらないトラブルで仕事が進まず、私生活の時間が削られるときもある。
そんな毎日を、それでも続けていかなければならないのだ。

時々、ホコリをかぶったプレステ2を引っ張り出してくる。
部屋の扉を閉めて、テレビの前に座る。
ソフトをセットして電源を入れれば、ぼくは「月の光」の流れる部屋で目覚める。きっとクッキーの甘い香りがするだろう。
世界の終わりはまだ来ていない。
もしもこのゲームを手放す時が来たら、その時 私のムーンワールドは終わるのだろう。