無題48

「私をわかって」という願望が叶うなら、あなたは消える。


私が考えることは、

すでにこの世の誰かが考えている。


私が得意なピアノはAさんがよりうまいし、

写生は、Bさんがうまい。

Cさんは私と似た顔をしている。

Dさんは、私と声が似ている。

…そんなふうに、「私」の「要素」は、他の誰かが必ず持っている。


遺伝子はたがえど、そもそも私たちの細胞の組成や、原子なら、私たちはみんな同じだからだ。


「私」

が、たったひとり、特別なのは、

「組み合わせ」がこの世でひとつだからだ。

組み合わせを分解すれば、私は私でなくなる。

けれどそれは、《私が死んでも、私の要素は、この世の誰かが持っていて、その意味では私はこの世のどこかで生きている》ということでもある。

あなたも、あなたの大切な人も、同じ。


私や、あなたが生まれて、生きてきた時間、そっくり同じ体験をする人は誰一人ほかに存在しない。

軌跡をなぞることもできない。

「私」は、つまり、この世にたったひとりなんだ。


だから、

「私を理解してくれる人」

というものが、もしもこの世に存在したなら、


「たったひとりの自分という組み合わせ」は、

不要なものとなってしまう。


「(たったひとりの)あなた」が、

誰にも理解されないことは、

それが尊い価値があるという証明なんだ。


誰にも100%理解されないからこそ、

あなたが生きている価値がある。


もう完全にわかる、神様みたいなものがこの世にあるなら、私たちひとりひとりは、そんなにいなくてもいいものになるかもしれない。


「私をもっと完璧に理解してほしい!」

と願うこと、欲することは、

「自分」がこの世に存在しなくていいと言うのと同じことになる。


「わかんない自分」を、

自分が自分で認めること。

「他人もわかんないものなんだ」

と認めること。


それは、存在の尊重。

「わからない」を大切にしよう。



今日の画像はこちら。
いつも利用している『ぱくたそ』様の
「野球の女神様」と「ハート」をコラージュ



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