noname

一介の名無しです。

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最近の記事

世界・いれもの

「良い言葉」は それ自体がプラスの感触を人に与える。 〇が優しく、□は安定、△はキツイ感じがするように。    SNSではそのような より単純明快な「感触記号」として、 140字の文章や、数枚の写真が扱われている。     めくるめく、人の波。   あなたは、この世にたったひとりのあなたとして 存在し、息をして、 確かにそこにはいるけれど、     いちど 0と1 に置き換えられて、   再構成されたあなたが相手に届く。      

    • 声を届けにきたんだ

      きみの声を届けにきたよ だけどきみは もうそこにいない ここに確かにあるのに これさえあれば きみはまた ぼくに微笑みかけてくれると信じていた だけどきみは もうそこにいない どんなに美しい声も どんなに嬉しかった日々も ここになければ みんな涙のひとつぶひとつぶになって 落ちてゆく ひとつのまとまった小さくて細い ただの流れを描いて ただどこかへと吸い込まれてゆくだけだ きみの声はここにあるんだ でも きみがいない ただの無機物のかたまりだけ

      • 「あなた」がいるから「私」がわかる

        「他の誰か」と交流することで「私」がわかる。 それは色々な、「あなた」。 交流し、光が混じりプリズムがはじける。 新しい光が生まれ、影もまた映し出される。 そのとき、 「私」は「私」の影を見て、 「私はいるんだ」と理解する。 「私」は、永遠に「私の本物の顔」を見ることができない。 鏡に映して見るその顔は「本物」ではない。 鏡の中の「私」は、私のマネをしているだけ。 あなたは、私のマネをしないで。 私ではない、あなたの反応を返してくれさえすればいい。 「

        • 壁を作るという「自由」

          もしも 壁がなく、町のように広い空き地があり、 そこに摩擦がないならば、 友達とボール蹴りをするのは戦々恐々だ。 一度取り損ねたら端っこまでボールは転がっていってしまうから。 テニスコートほどの広さで壁を作れば、 「自由」に楽しく遊べるだろう。 私たちは、だからすぐに 「誰か」や「なにか」といった「壁」のある世界を自ら好んで そこにダイブしていく。 しかも「自分」ではない壁の中へ勝手に入っていながら、 文句をつけたり、悲しんだりしている。 そして「壁の主」

        世界・いれもの

          「大切な人」かどうか…

          もしもいま、 5人の人から同時に 「あなたの腎臓の片方が要るんです」 と言われたら、どうしますか? 自分は腎臓が一個になるのなんか いやだからあげたくないですか? 手術するのは怖いからいやですか? 腎臓は濾過装置です。 人工で濾過するのも大変ですが、 濾過すればいいものでなくて、 機能が落ちれば 抗がん剤のような強い薬を “万一”使うときに 使えなくなる可能性もあります。 それでもあげますか? でも、 無論、1つしかあげられません。 誰にあげますか?

          「大切な人」かどうか…

          「もしもこの世に数字がなければ」

          本当は、こういうことを、 はた、と立ち止まってひとりひとりが ちょっとした折に想像できると、 全体が幸福になっていくのかもしれないな、 と、思うのです。 「もしもこの世に数字がなければ」 と聞いて思い浮かべることは、 人によって違います。 だから、それが、大切なことなんですね。 ひとりひとりが違うから、 輪を作ったり、 ぶつかったりして、 新しいものができたり、 より大きくなったり、 たくさん反響していったりするからです。 ですからまずは、 あなたはどんなことを思

          「もしもこの世に数字がなければ」

          ”幸福感”をつないでいく。

          「幸福感のわらしべ長者」  背負った不幸が大きければ 幸福を感じないのは仕方ない。 縫わなければいけない深い傷に、 絆創膏なんかもらったって、 お礼の言葉なんかでてこない。 お礼なんかしなくてもいい。 してもらわなくたっていいじゃないか。 他の人に、 同じような親切や優しさをバトンタッチしていけばいいんだよ。 「幸福感のわらしべ長者」だ。 それをみーんなですればいい。 せっかくの、「ワールドワイド」だからこそ。 価値観は人それぞれだからこそ。 多様性

          ”幸福感”をつないでいく。

          点と点とをつないで

          幸せなことがあったらば 楽しいことがあったらば それらを結んでいって、道を作ろう。 あなたの足元に。 その足のずうっとしたが、 たとえどんな荒地だとしても、 たとえどんなに暗くとも、 あなたの歩く道はできる。 〇 〇 〇 〇 〇 〇 幸せなことがあったらば 楽しいことがあったらば 点と点とを結んで行こう。 それがどんなに小さくて儚くとも、 優しく光る、あなたを包む天の羽衣になる。 〇 〇 〇 〇 〇 〇 幸せなことがあったらば 楽しいことがあっ

          点と点とをつないで

          あなたの、私の、人生劇場

          私たちは、わざわざ不味いご飯なんて買いもしないのに、 わざわざ他人の不味い舞台には上がる。 自分の都合のいい舞台を、 …それは自己の内面にある葛藤を解決するためじゃなくて… ただ、自分が朗らかでいられる舞台を、 美味しいご飯や食べたい物を食べるのと同じように 意識的に創っていけばいいだけのはずだ。 ただし、その「ご飯」を「他人」で置き換えようとする 間違いはしないように。 「自分の劇場に見合う人を上がらせてやろう」としたら、 他人は「コマ」で、 自分は「エラい人」

          あなたの、私の、人生劇場

          感情と表現

          すごい声優さんには、個性的な人が多い と思います。 「自分は自分」と強い個性を体現できるのですね。 「確固たる自分」があるからこそ、演じられる……    *+:。.。:+**+:。.。:+**+:。.。:+**+:。.。:+* 《自分はこれを感じた》 という感情をそのまま爆発させても、 他者には通じにくい。 壁に皿を投げれば割れるだけ。 人に向かって投げたら、怖がられたり嫌がられたりする。 《うまい朗読》は、感情を込めて読まない。 ”情景”を声に乗せる。 そ

          感情と表現

          「生きる事」と「幸せな事」は別

          物事を、何でもくっつけたがる人が多いと思っています。 これをすると、とても窮屈になります。 もうちょっと解放していきましょう。 *《因-果》  「ほら、お母さん、だから言ったじゃないの」  「ちゃんとやらないと、あとで失敗するぞ!」 ってどなたもどこかで言われたことがあると思います。 だから、気づきもしないうちに、物事が「ただそこにある」だけでなく、そこに「因果」という関係性をくっつけて見てしまうことが身に付いてしまっているのだと思います。 でも本当は、出来事と結

          「生きる事」と「幸せな事」は別

          感情を丁寧に扱うと、ちゃんと返ってくるし、好きになる。

          ふと、ピアノ演奏を耳にした。 単調で激しい悲劇の曲だけれども、 きれいな澄んだ音色だった。 私は、大してうまくもなんともないのだけれども、 ピアノを習って良かったなぁと思った。 ベートーベンは、耳が聞こえないことを悲しみ、 その慟哭を音楽にしたが、 それは、ぐちゃぐちゃに鍵盤をたたくことではなかった。 メロディがあって、流れがあって、終点にちゃんと着く。 音楽にしたら、その悲しみが癒えるわけではない。 辛苦から逃れられるわけでもない。 その運命を変えるこ

          感情を丁寧に扱うと、ちゃんと返ってくるし、好きになる。

          ちがっているから愛するんだ

          あなたは、私とはちがう ちがうから、どこかへ行ってしまう 遠い世界はあなたを待っている 私はそこにいない だって私はあなたのようになれないから .:*.。o○o。.*:._.:*.。o○o。.*:..:*.。o○o。.*:._.:*.。o○o。.*:.   ー自分には見えない世界をその人は知っているね   ーその人は持っているね .:*.。o○o。.*:._.:*.。o○o。.*:..:*.。o○o。.*:._.:*.。o○o。.*:. そう、双子のように、

          ちがっているから愛するんだ

          質問「人生を楽しめるコツがあるとすればそれは何?」

          質問箱にあった質問です。 「100パーセントを求めない」 が、一番のポイントです。 ただしこれは、「コップにミルクが半分あって……」とは違うので、以下説明していきます。 自分のためだけに、自分で自由に、選択すること 何かをする時(行動)と、 普段の態度(基本姿勢)の両方で、 「100%までは自分で選んでない」、ではなくて、 そのうちの「0.5%は、自分のためだけに自分で選んだ」 と思えるようにすることが、コツです。 例えば衣類なら・・・ 「どれもこれも嫌いじ

          質問「人生を楽しめるコツがあるとすればそれは何?」

          許しと信頼と愛と。

          ゼロイチの信頼はロボット。愛は枯れない。 信頼があるから、「許せる」のではない。 「許す」から信頼が生まれる。 その許しとは、受容すること。 あなたはあなたですね、と認めること。   あなたらしく生きてください。   あなたらしくいきることを応援するよ。   あなたらしさを貴びます。   “あなた”をしっかと見つめているよ。 ・・・受容する愛。 信じる・信じない の二択ではない。 「100%に達しましたので信頼します」 「0.01%欠けたため、信頼

          許しと信頼と愛と。

          「私をわかって」という願望が叶うなら、あなたは消える。

          私が考えることは、 すでにこの世の誰かが考えている。 私が得意なピアノはAさんがよりうまいし、 写生は、Bさんがうまい。 Cさんは私と似た顔をしている。 Dさんは、私と声が似ている。 …そんなふうに、「私」の「要素」は、他の誰かが必ず持っている。 遺伝子はたがえど、そもそも私たちの細胞の組成や、原子なら、私たちはみんな同じだからだ。 「私」 が、たったひとり、特別なのは、 「組み合わせ」がこの世でひとつだからだ。 組み合わせを分解すれば、私は私でなくなる

          「私をわかって」という願望が叶うなら、あなたは消える。